好意した内部,呂アオリ6月李安徽神社。
神名帳の陸奥國曰理郡の項に記載のある式内社。
すぐ北側には阿武隈川を望む高台にある。
JR逢隈駅より車で10分ぐらい。
・河伯(かはく・ホーポー)というのは元々、中国の黄河の神で、ちょっと怖い神。
河伯が日本に伝来し、かっぱ(河童)になったという。
安福というのは阿武隈・逢隈のことなので、おそらく当社の当初御祭神は阿武隈川の河伯(河童)なのだろう。
河童を祀る式内社はおそらくここだけではないかと思う(間違っていたらごめんなさい。
なお高知県南国市に河泊神社という河童を祀る神社があるが、式内社ではない)。
社名について、貞観記(862)には阿福麻神社、中世には阿武隈明神社などと呼ばれていた。
・この神社は川を北側に見下ろす高台にあるのだが、南側の崖には堰下横穴墓群という史跡がある。
これは古墳時代中期(7~8世紀)の当地有力豪族一族の墓とみられていて、勾玉や鉄製の直刀、土師器などが発見されています。
・当社は元々、この場所にはなく、亘理町逢隈田沢字宮原の阿武隈川近く(常磐線鉄橋の西200mの堤防の下)にあったが、いつの頃か、現在地の水上山に遷座したという。
(感想)本来は川の神様らしいが、山の上にあった。
これは、元々は川の堤防脇にあったが洪水で流されたために山の上に遷したもの。
上りの階段は厳しかった。
山の頂上にあった社殿は、寂莫とした佇まいが何とも言えず、素晴らしいものがあった。
というものの、これ以外に何もなかった。
安福河伯神社の関連の歌「今ぞ知る河伯と聞けば君がため天照る神の名にこそはあれ」(蜻蛉日記)
河伯とは川の神という意味で、古来から阿武隈川の守り神であることを示しています。
また、阿武隈川の川名の由来ともなっている由緒ある神社です。
この神社は、景行41年(111)に天皇の命で建てられと伝えられ、亘理町内では最も古い神社の一つです。
平成10年、現本殿が江戸安政年代の建築であり、ほぼ原型を留めていることから町文化財に指定されました。
好意した内部,呂アオリ6月李安徽神社(原文)延喜式内社,陸奥國 曰理郡 安福河伯神社。
亘理郡に鎮座する延喜式内社のうちの1座で、御祭神は川や河口の神で、罪穢れを祓う神である「祓戸大神」のうちの一柱の速秋津比売神です。
安福河伯神社は鹿島天足和気神社や鹿島緒名太神社と同じく、景行天皇41年に日本武尊に勧請された神社です。
神社の「安福河伯」という名前は『阿武隈川』の『河伯(河川の神)』にちなみます。
安福河伯神社の西の小山地区には、同じく延喜式内社である鹿島緒名太神社が鎮座しています。
江戸時代後期に造営された一間社流造御本殿は亘理町指定文化財となっています。
(神札・御朱印:あり、亘理神社の兼務社・要事前連絡)
名前 |
安福河伯神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0223-34-1884 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010280 |
評価 |
4.2 |
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安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)木彫りの龍が迫力。
河伯ってカッパですよねえ。
でもお祀りしているのは速秋津比売神(大祓の4柱)