どこのどうゆう偉いお坊様が人柱になったとゆう説明は...
解説ボタンと照明のボタンを間違えないようお気を付けて下さい。
供養堂内にはご遺骨が安置されていますので、苦手な方は隣の地すべり資料館へ行く事をお薦めします。
もう少しマイルドな内容での解説があります。
すぐ隣の資料館で人柱になって下さった方の昔話が展示されています。
私の地元で暴れ川を鎮めるために人柱になった方は悲壮な昔話として伝わっておりますが、この方は自ら進んで民衆を助けるという信念の元になって下さった。
その強い気持ちと愛情に頭が下がります、いつまでも私達は忘れてはならないと思います。
人柱供養堂に関する話はあらかじめ調べて行ったのですが…目の前に祀られている『人骨』を見て驚きと言うか感動的と言うか……しかもお堂の中には、どこのどうゆう偉いお坊様が人柱になったとゆう説明は無く『地すべりを止めた旅僧』とゆうだけの自画像?似顔絵?がありました。
凄くないですか❗修行で旅をしてこの板倉の地にたまたま?来たお坊様が、板倉の人達の為に自ら人柱になった❗それも人知れず……供養堂はそう大きな物ではありませんでしたが、私はその旅僧の行い・生き方にただただ感動してしまいました✨私には決して真似出来ることではないです😓
音声テープの解説を聴きましたが、隣の地すべり資料館にも人柱伝説についてのアニメーションや展示があり、アニメーションを見るとよく理解出来ます。
地すべり資料館とセットで見ると良いです。
上越市板倉区猿供養寺地区の「人柱供養堂」は、「地すべり資料館」脇に建立されております。
近年、事実が裏付けられた「人柱伝説」に由来する、「すべり止め」祈願の「お札」と「お守り」の販売でも、注目集まってる場所みたいです。
「人柱伝説」とは、山に住む大蛇達が「地すべり」を起こすための相談話を偶然聞いた遊行僧が、「地すべり」を止めるため、自ら「人柱」となった伝説。
単なる伝説だと思われていた話が事実と確認出来たのは、昭和12(西暦1937)年のことだそうで。
村人が「正浄寺」跡で客土を採掘中「大甕」を堀り出し、中から「座禅姿の人骨」を発見。
これにより「伝説が事実である」事を証明してしまったという、まさに稀有な発見だったらしいです。
つまり「人柱供養堂」は「伝説が事実であった」事を後世に伝えるべく建てられた、今も伝説を目撃出来る場所。
なお、この場所には平安の初期、天台宗「正浄寺」があったそうですが、後に栃木県に移住したらしいです。
堂の中で解説の音声が流れます。
地区のほとんどが地滑り地帯に指定されているこの地域には、以前より地滑りを止めるために人柱となった僧侶がいたという『人柱伝説』がありました。
それが、甕と人骨の偶然の発掘により、実際に起こった出来事であったことが裏付けられました。
ここではその伝説と、実際に発掘された甕・そして僧侶の人骨が展示されております。
また以前は小さなお堂でしたが、現在の立派なお堂に建て替えた際に、地域の古寺から天井画が移設されています。
これも是非見て頂きたいところです。
この辺りは地滑りがよく起こる土地で、鎌倉時代に村人達は離散せねばならぬような状況に追い込まれていた。
この村を訪れた旅僧が自ら人柱となって地すべりを止めたという伝説があった。
昭和12年に土中から大かめに入った座禅姿の人骨が発見され、町ではこの尊い旅僧の霊を慰める為、発掘の地に人柱供養堂と標柱塔を建立し、毎年丁重なお祭りが行なわれている。
人柱供養堂には、地すべり資料館が併設されている。
名前 |
人柱供養堂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
http://www.pref.niigata.lg.jp/jouetsu_sabou/1354572113082.html |
評価 |
4.2 |
本当は星を付ける場所ではないのですが。
人柱となられた修行僧の方は名前すら名乗らなかったらしく、出自を知る縁すらありません。
定期的にお伺いしたい聖域ですし、これからもお参りします。