川舟を管理する幕府役所跡の対岸の静かな佇まいの集落...
10/8(土)今日最後は9箇所目の大石田横山。
大石田には4観音ありますが、比較的に近い場所にあるので巡礼しやすいと思います。
塩ノ沢のお堂は寺の西1キロほどの山あいにあります。
今日最後なので、題目、御詠歌そして般若心経を唱えてお参りしました。
そしてなんと今日2枚目の金札と出会いましたよ。
御朱印や笈ずりの朱印、おすがたもたくさんになりました。
初めての巡礼も最上地方を残すのみとなりました。
最上三十三観音 二十八番札所塩の沢観音堂です観音様は、本堂に入りご本尊の左です。
令和4年10月現在住職が他寺兼務ですので不在の場合は一般御朱印帳や掛け軸などへの墨書きはできません。
ただし、最上三十三観音専用御朱印帳は差替えで対応していますのですぐできます。
また、おいづりの御朱印もすぐ頂けます。
一般の御朱印帳や掛け軸は、こちらにて御朱印のみ頂き、他札所で書いて頂きます。
現在は、33番の庭月観音で書いて頂けます。
この場合、御朱印と墨書きが折半になります半額づつそれぞれ納める様になります。
駐車場は、入口に5台くらい停めれますが先の駐車場が広く安心して停めれます。
住宅地の中にあります。
葬儀か法事の相談されてる方がいました。
千手観音が強そうですね。
2022.8.11
最上三十三観音の参拝でお伺いしました。
コロナウィルス感染症の影響で二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳(観音堂の観音様)です。
塩沢山曹源院といい曹洞宗のお寺、で観音霊場第二十八番札所になります。
観音堂の中でお勤めをしました、別称で塩の沢観音と呼ばれています。
御本尊は千手観世音菩薩で慈覚大師のと伝わり、六沢観音堂や尾花沢観音堂に祀られている御本尊と同じ椋(ムク)の大木で彫られたと伝えられている。
寺の縁起によれば御堂を建立したのは、四位少将師興朝臣という氏族が千手観音を安置したのが始まりで、後にその子孫にあたる日野備中守師重が塩澤山に築城し付近一帯を治めていた。
天正年間(1573年~1592年)の頃最上義光の家臣である延沢能登守に攻略されて、その戦火のために城も観音堂もそして御尊像までもが炎に呑み込まれてしまった。
その後現在に至るまで御本尊は秘仏として奉安されているが、代わりに観音堂には高さ一メートルの千手観世音菩薩が安置され参拝者を温く出迎えてくれる現在の御堂は享保年間(1716年~1736年)博道和尚の頃に再建された建物だが、天正二年(1913年)に襲来した台風によって御堂は倒壊してしまった、御堂は直ちに修復されたがその際に臨時ながら初めての御開帳が行われた。
尊像はかって戦火に遭った様を物語るように焼け焦げた痕を遺したままであったという。
昭和六十一年(1986年)には開創五百五十五年を記念して、巡拝者の浄財を基金として元の尊像と新像を新しい厨子に安置している。
40年近く観音参りしてましたが、一度もお参りに来なかった旧の塩の沢観音、落ち着きはらい、とても清々しい気持ちにさせてもらいました。
またお参りに来ます。
管理人の方、有難うございます✨
最上川の中流部、川舟を管理する幕府役所跡の対岸の静かな佇まいの集落の中に堂宇がございます。
本堂と棟続き、右手前に最上三十三観音霊場第二十八番「塩ノ沢観音堂」がございます。
人通りも少なく大変落ち着いた地域です。
旧塩ノ沢観音堂にも足を運ばれてみては如何でしょうか。
名前 |
最上三十三観音第28番 塩ノ沢観音 (曹源院) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0237-35-2262 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
行くまで道が若干狭いが、それほど気にならない。
駐車場も広い。
観音堂は荘厳な造りで圧倒的。