井伊直親が暗殺された地、とされています。
かの平将門公ゆかりの史跡。
将門伝説として将門公の家臣の首塚とのこと。
関東で起こった将門の乱が朝廷軍に鎮圧され、将門公の首が獲られ、京でさらされた後に首が東へ飛んでいったと言う伝説もあるのでここ掛川の地にゆかりの史跡があるのは楽しいですね。
予てから興味のあった、掛川の名前に由来する場所に伺いました。
国道415号線(日坂八坂線)から南下。
逆川沿い東光寺さんの一角にあります。
諸説ある中、承平五年に朝廷により滅ぼされた平将門並び家臣の首を京に移送中、この地に於いて検視が行われその際に首を橋に掛けた事により、掛川の地名になったとか…。
家臣の名が刻まれた墓碑は、今もきれいに祀られており、辺りを静寂な空気が包み込み、盛者必衰を感じる場所でした。
また、近くには当時、首を掛けたと言われる橋の場所に新しい「将門橋」が掛かっています。
平将門にまつわる史跡です。
関東で討ち取られた将門とその家臣十八名の首を埋葬した場所と言われている場所です。
元は名前の通り十九の塚が別々にあったのですが、今は一つだけが残っているのだそうです。
掛川に将門にまつわる史跡があるなんて驚きですね。
行く前は苔むした古い五輪塔でもあるのかと思いきや、目新しい供養塔がずらりと並んでいました。
いささか拍子抜けの感がありましたが、見方を変えれば、地元の人達にも大切にされているということなのでしょう。
ところでかつて大河ドラマ「おんな城主直虎」で井伊直政の父、直親はこの地で家臣共々、今川方に討ち取られたと紹介されていました。
しかしこの井伊直親という人物は井伊家の系図には書かれていますが、実在が確認できないのだそうです。
実際、この史跡公園の案内にもその様なことは一言半句も書かれていません。
単なるこじつけだと思います。
説明書きを読むと、自分の理解力が足りないせいか少し混乱将門公含む20人の首級をここらへんに埋葬したのか、町の名前からして家来19人なのか…将門公が好きな方は、色々と考察出来る場所だと思います。
将門塚の他は新しく往時を偲ぶには記念碑的な感が強い。
しかしながら、将門伝説の1つの地としても公園として管理されていくことは良いことだと思う。
「十九首(じゅうくしょ)」と読むそうですが、凄い地名です。
その昔、敗死した平将門主従の首級は晒されたのちにこの地に葬られたとの伝説があります。
後々にそれが地名になったわけですね。
しかしながら、この地では大河ドラマですっかり有名になった、井伊直親(井伊直政の父)が今川氏真の意を受けた朝比奈泰朝に討たれた場所でもあるようで、どっちが地名の由来になったのか、判断に悩むところですね。
十九首塚はかつては荒廃し、将門のものとされる塚だけが残っていましたが、近年は整備されてちゃんと19の塚が揃っているそうです。
わたしが訪れた時は未だ未整備の状態だったので当時の写真を貼っておきます。
また行ってみたいな。
平将門の首由来の場所ですが(掛川=首あらためで川に掛けた)、井伊直親が謀殺された場所でもあります。
歴史的悲劇のあった場所ですが、地名をあらためず、守っているところが素晴らしいです。
付近に平将門主従の首塚と伝承されてきた塚が散在していたらしい。
時の流れの中で塚は梳かれ、最後に将門の塚が付近に残っていたという。
最後にその塚も破壊されようとした時、この地に公園がつくられ、供養のための五輪の塔が建立された。
また、この地で井伊直親主従が謀殺されたともいう。
十九首の地名はこの事件に由来するとも。
直親主従を弔うため、この地に八幡社が建立されていた。
八幡社はこの地からほど近い大池の傍にうつされたという。
今もその地には池邊神社と池邊八幡宮が残っている。
井伊直親が暗殺された地、とされています。
あまりにも生々しくて忘れ去ることは出来ず、さりとて公にするのも憚る、ということなのか、遥かに時代を遡る平将門とその家来の終焉の地とすり替わっているようです。
名前 |
十九首塚史跡公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/life/kouen/shisetsu/eikikitaeria/juukusyudukasiseki.html |
評価 |
3.4 |
平将門と十九人の従者の首を持って上京組と京都から下向してきた検視者が落ち合ったのが現在の十九首塚。
ここで首を洗った川を血洗川といい、橋に首を並べて検視したそうです。
現在は住宅地の中にあり首塚は墓地ですので伺う際は気をつけてください。