天保時代に建てられた小さな栄螺堂です。
2022年9月に訪れました。
天保10年1839年、豪商東長町中田喜兵衛が、海難事故や天明天保の大飢饉の死者を供養しようと建てた八角の御堂です。
内部は、螺旋階段状になっているそうです。
20200404ニュースで新型コロナウイルス感染防止のため4/10(金)夕方からGW明けまで弘前公園立入禁止になると流れていたので、急遽第1回弘前市弾丸ツアーに行って来ました!「弘前城」を貸し切りで見学を済ませ「長勝寺」へ向かいます!弘前城から少し行った所に、道路を挟んでお寺が何軒も並んでいる通りが有ります!「一の門」という砦の門のような黒門をくぐると、一番奥の長勝寺まで続く並木道沿いに33の曹洞宗の寺院が建っていることから「禅林街」と呼ばれているそうです!黒門をくぐると直ぐに色が美しい八角形のお堂が目を引きます!蘭庭院・栄螺堂(らんていいん・さざえどう)案内板によると俗称・六角堂とも呼ばれるが上から見ると八角形です!今回は外観だけでしたが、管理されている蘭庭院さんから鍵を借りて中を拝観することが可能だそうです!栄螺堂:天保10年(1839年)建立。
豪商中田嘉兵衛が、海難死亡者及び天明・天保の大飢饉での餓死者の無縁仏を弔うために建てられたという。
弘前市指定有形文化財。
以前は、長勝寺が管理していたが、蘭庭院22世拙雄和尚が毎朝読経を行ったのを機に蘭庭院が管理することになったそうです!20220731弘前ねぷた祭り直前弾丸ツアーに行って来ました!弘前八幡宮、熊野奥照神社、縣護国神社参拝、弘前城、弘前天満宮で参拝を済ませ、栄螺堂へ向かいます!前回同様、黒門をくぐって栄螺堂の前に路駐にて失礼します!次回は、是非に蘭庭院に伺ってお願いして内覧させて頂きたいと思います。
栄螺堂(さざえどう) 弘前 2021/04/20長勝寺へ向かう曹洞宗の禅寺が並ぶ禅林街の一角にある栄螺堂(さざえ堂)、俗称六角堂。
天保10年(1839年)創建。
内部は栄螺形の廻り階段になっている構造体。
で、思い出したのが会津若松にある「会津さざえ堂」。
会津さざえ堂は寛政8年(1796年)創建なので、弘前の43年前。
勝手な想像だけど、会津若松のさざえ堂を見た人が真似て作ったか、同じ大工さんが係わったのか。
写真1-3枚目は弘前栄螺堂写真4-6枚目は会津若松さざえ堂。
弘前城側から入る禅林街の入り口左側にある栄螺堂。
「六角堂」とも呼ばれているのですが実際は八角形。
なんでやねん。
サザエの殻みたいな作り?中入ってみたら、見た目よりも広く感じました。
中は、建物をぐるりと一周できるような通路になっていて、坂を上がって下がるみたいな不思議な感じで面白い。
この中をぐるっとまわって一周すると人間が生まれ変わる、というような意味合いがあるそうです。
蘭庭院・栄螺堂(らんていいん・さざえどう)。
色が美しい八角形のお堂です。
案内板によると俗称・六角堂とのこと。
今回は中を拝観しませんでしたが、管理されている蘭庭院さんから鍵をお借りして、見学することが可能だそうです。
(立て札より)「u200b六角堂u200b(俗称:栄螺(さざえ)堂)由緒この御堂は六角堂と云われ、天保十年(西紀一八三九)時の豪商 東長町 中田嘉兵衛翁が、年年歳歳の海難で死亡した者、及び天明天保の大飢饉で数万の餓死死亡者の無縁の諸霊冥助のため発願して建立された御堂で、八角の稜形であるが内部は栄螺形の廻り階段になって全国でも稀れな建築様式で、観音菩薩他諸仏体を安置して信仰の対象として、有縁無縁の諸霊冥福を祈り、長く後代の人々の為に遺し伝える所以であります。
」
名前 |
栄螺堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0172-82-1642 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/shi/shi2.html |
評価 |
3.7 |
蘭庭院さんに行ってみましょう。
栄螺堂にきょうみがあるんですけど、というと秘密の鍵が…