数多くの建築物、機械、文書が今日まで継承されており...
近代化産業遺産細倉鉱山関連遺産 / / .
名前 |
近代化産業遺産細倉鉱山関連遺産 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3580-3922 |
住所 |
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評価 |
5.0 |
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全国各地には、我が国の産業近代化の過程を物語る存在として、数多くの建築物、機械、文書が今日まで継承されており、これらは、自らが果たしてきた役割や先人たちの努力など、豊かな無形の価値を今に伝えています。
経済産業省では、これらの歴史的価値をより顕在化させ、地域活性化の有益な「種」として、地域の活性化に役立てることを目的として、これらを「近代化産業遺産」として大臣認定し、平成19年度及び20年度において、地域史・産業史の観点から、それぞれ33のストーリーとして取りまとめた「近代化産業遺産群33」「近代化産業遺産群 続33」を公表しました。
細倉鉱山は、幕末から民間による小規模な経営が続いていたが、1890 年に細倉鉱山会社が設立され、近代産業としての基礎を確立した。
大島高任の長男である大島道太郎が坑内設備等の建設にあたった。
1895 年に粗鉱出鉱ならびに鉛、銀の生産額が伸び、この年の鉛の生産額は日本一となっ た。
また、1898 年には、高田慎蔵が事業一切を譲り受け、以後高田鉱山として経営を行うこととなった。
その後、亜鉛の軍需が高まり、1915 年、山本豊次所長が亜鉛の電気分解に成功、猪苗代湖の発電事業か ら電力を得て、電解亜鉛生産によって 1917、1918 年に再び最盛期を迎えた。
また、同時期の 1918 年に、 栗原軌道(株)(後の くりはら田園鉄道(株))が設立された。
同社は、既に開業していた東北本線石越駅と細 倉鉱山駅の間をつなぐ路線を営業し、同鉄道により先の最盛期時の亜鉛輸送が支えられた。
その後も、鉱 石や物資の運搬、住民の通勤・通学に多大な貢献をした。
以上のように、東北地方の鉱山は我が国有数の金属供給源として、明治初期の「富国強兵」「殖産興 業」政策に貢献し、近代産業の発展を支えていった。