バス停前にありますので、駐車は出来ない。
夏目次郎左衛門吉信旌忠碑 / / .
今日から口コミが増えることを願います。
碑の高さに後世のご子孫の感謝の深さが感じられました。
広次ではなく吉信と記されている点にも感じ入るものがありました。
☆家康が『信誉徹忠』の号を与えし夏目次郎左衛門、岡崎の「法蔵寺」墓所は家康が建立🤔1563年(永禄6年)『三河一向一揆』に加担し家康に敵対、一揆収束後、松平伊忠(深溝松平家/松平家忠の父、長篠の戦いで討死)などの嘆願あり、家康に帰参を許され復帰😓1573年(元亀3年)『三方ヶ原の戦い』、浜松城留守居、徳川勢敗色濃厚を察し、浜松城を出撃し徳川家康救援に、三河一向一揆帰参の恩義ある家康を浜松城へ逃がし、追手の武田騎馬隊に25騎で突入し奮戦、身代わりになり戦死、享年55😢☆犀ヶ崖古戦場の姫街道の直ぐ北側に石碑、姫街道の北に三方ヶ原・南に浜松城あり🐎
浜松は、徳川家康29才から45才まで17年間を過ごしていた居城でしたので、数々の逸話も残っています。
その中でも、家康唯一の惨敗と言われてる三方ヶ原の戦いが一番有名でしょう。
敗走してきた家康の身代わりとなり、討死した夏目吉伸の忠義を讃えた碑です。
大きくて立派な碑です。
夏目吉伸は夏目漱石の祖先と言われています。
夏目漱石の先祖。
犀ケ崖から北に50メートル程進んだ左手にある大きな碑です。
犀ケ崖資料館へ行かれた際には、直ぐ近くにあるので是非行ってみてください。
バス停前にありますので、駐車は出来ない。
近くの犀ヶ崖資料館に駐車場があるので、そちらを利用しました。
(駐車場は17時まで)
家康の家臣で、家康の身代わりとして命を落とした武将の碑が建つている処です。
浜松では、戦いの日々。
三方ヶ原の戦いでは惨敗し苦労の連続だったとか。
そんな中、家臣には恵まれ、自分の為に命を落とした夏目氏の碑が此処に。
地域の方がいつも手入れされ、きれいになっています。
ちなみに家康が、負け戦で逃げて身を隠した木が八幡宮の境内にあります。
名前 |
夏目次郎左衛門吉信旌忠碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
「夏目次郎左衛門吉信旌忠碑(せいちゅうひ)」は、主君徳川家康に対する夏目吉信の忠義と勇気を顕彰するため、小・中・青年学校39校生徒の寄付により1936年に建立されました。
三方ヶ原の合戦に敗北した徳川軍からは、夏目吉信をはじめ、本多忠真、成瀬正義、平手汎秀など多くの将兵が犠牲となりました。
2023年5月14日の「どうする家康」にも描かれていましたが、合戦時に浜松城で留守役を務めていた吉信は、敗走する家康を犀ヶ崖(さいががけ)に迎えると、家康の甲冑を身に着けて身代わりとなり、「我こそは徳川家康なるぞ」と追走する武田軍の前に立ち塞がり、55歳の命を散らしたのです。
三河一向一揆では一揆側に加担し、その後に捕えられた吉信は家康から処刑を許されました。
吉信は家康の身代わりとなって討ち死にすることにより、命を救ってくれた家康の大恩に報いたのです。
生命の危機を何度も経験している家康ですが、犀ヶ崖における吉信の犠牲がなかったとしたら、武田軍に討ち取られて徳川幕府による江戸時代が実現することもなく、今日に至る450年間の日本の歴史は全く異なっていたはずです。
ちなみに吉信は文豪夏目漱石の祖先に当たるということです。