はるか昔の跡を思い起こす史跡です。
はるか昔の跡を思い起こす史跡です。
案内板より、横手と平泉の深いつながり①藤原清衡は、清原清衡だった!世界文化遺産に登録された数々の遺産が残る平泉の町を建設したのは奥州藤原氏の初代清衡です。
彼は平泉を建設するまでの前半生において2度の大きな戦いを経験しました。
盛岡市などを主戦場とした「前九年合戦」そして横手市を主戦場とした「後三年合戦」です。
「前九年合戦」では、頼義 義家父子らの源氏と横手市を本拠としていた清原氏が協力し、頼時(よりとき) 貞任(さだとう)父子ら安倍氏を絶滅に追い込みました。
安倍氏側にいた清衡の母は、清原氏の軍勢を率いて戦った清原武則(たけのり)の子武貞(たけさだ)と幼い清衡を連れて再婚しました。
そのため清衡は平泉に移るまでの約40年間、清原一族の人間として過ごすことになったのです。
三郷町出身です。
何度も里帰りしていますが今年6月初めて訪れてカルチャーショック‼️素晴らしい✨平安の風が吹いていてタイムスリップしたような感じでした。
こんなところが埋もれていたなんて‼️もっと多くの歴女たちに訪れて貰いたい✨
平泉文化に繋がる後三年の役の舞台となる金沢柵址。
田園風景を眺めながら色々と思いを馳せるのも面白いかと思います。
あとは、納豆発祥の地として訪れてみるのも面白いかと思います!
名前 |
金澤柵趾 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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平安の風わたる公園を後にし、みずほの里ロードから回って来ました。
周囲は急峻な崖。
これが難攻不落の所以かと納得。
ですが今、本丸に上がっても、いくつかの碑が立つほかは、草地が広がるばかりで何もありません。
その代わり、合戦後に創建され、出羽国の鎮護神として祀られた金澤八幡宮が静かに佇んでいます。
昭和58年に焼失し、根本だけが残る兜杉。
凱旋時に源義家が自身の兜を埋めた際、清原(のちの藤原)清衡がそばに植えたものと伝わっています。
付近に、納豆発祥の地という碑もありました。
(2017.4)