秋田市河辺和田の岩見川沿いに鎮座する八幡神社です。
御祭神は仁徳天皇。
創建は、慶安2年(1649)に豊島城主が鎌倉鶴岡八幡宮より城内に勧請したのが始まりと伝えられます。
Nov'25.2020 参拝並びに画像撮影。
岩見川の清流と、それから人々の暮らしを遮る堤防とを見守って鎮座されている。
入母屋造ではあるが、横や斜めから見ると本殿、拝殿が並列しているさまからはやはり、八幡造らしさが垣間見える。
もう少し季節が早ければ、境内では紅葉を楽しめたろう。
参集殿あり、まぁ集会所か。
やはり鶴岡八幡宮からの分霊のようだ。
以下転載。
社記によれば応安2年豊島城主が鎌倉鶴ヶ岡八幡宮から城内に勧請したが、その後落城したので現在地に遷座す。
佐竹藩主は代々この神社を崇敬し参勤交代の節は時々参拝され、4代目義格が12歳の時に(額)を奉納しているが次のように書かれている。
『八幡大菩薩 十二歳 義格 花押』また享保15年8月15日屋根普請の落成式に5代目義峰公が娘の栄姫と常姫を代拝させている。
明治5年7月10日郷社に列せられ、大正2年2月31日、式田地区白山神社、石川地区加茂神社、宮崎地区八幡神社、奥出地区塞神神社、古大張野稲荷神社、福田地区薬師神社の6社を合併して指定神社となる。
名前 |
八幡神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
018-886-4038 |
住所 |
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関連サイト |
http://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/kennsaku/akita/096_hachiman_wada.html |
評価 |
3.0 |
元郷社。
町内で1番社格の高かった神社で、若宮八幡社ともいい、郷社であった。
社格は終戦後なくなったが、戦前はその祭典の際には社格によって役場や県から参拝の使が出たり、学校では生徒が先生に引率されて参拝するならわしであった。
この神社は応案2年(1369)豊島城主が、鎌倉の鶴ケ岡八幡宮から城内に勧請したのがはじまりであるという。
その後落城したので現在地に遷座それたのである。
佐竹藩主は代々この神社を崇拝し、参勤交代の節は時々参拝されたという。
式田の白山神社、石川の賀茂神社、宮崎の本宮八幡神社、奥出の塞神社、大張野の稲荷神社、福田の薬師神社を合祀して指定神社となった。