阿多の地頭となり駿河からこの地に下る時、近江国日吉...
名前 |
日枝神社 |
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ジャンル |
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住所 |
〒899-3511 鹿児島県南さつま市金峰町宮崎3523−1 |
関連サイト | |
評価 |
5.0 |
古老の伝によると、建久三年(西暦1192年)鮫島四郎宗家が源頼朝の命を受け、阿多の地頭となり駿河からこの地に下る時、近江国日吉大社の御分霊を奉斎したという。
よって、御祭神を大山咋命とも伝え、日吉神社、日吉山王社とも称した。
また三国名勝図会によれば、大己貴命の異名同神七社と、これに所属する十四座、あわせて二十一社となっている。
往時は阿多の総鎮守で、阿多総社の宮と称して、一切の工事は将軍直属のもとに行われていた。
数百年前の火災により、由緒書・宝物のほとんどを消失したと伝えられる。
天文の頃、島津運久公、忠良公の尊崇厚く、阿多五社の一つとされた。
天文十七年再興の棟札がある。
元旦の祭礼には、旧萬世町方面在住の鮫島姓の人達は、先祖ゆかりの神社として参詣を絶やさないといわれる。
明治四十四年三月二十八日の指令により、松田の熊野神社を合祀した。
(鹿児島県神社庁HPより抜粋)