大同2年(807)、坂上田村麻呂の創祀と伝えられ、青森県では最古の神社という。
実際には、田村麻呂はここまで到達しておらず、都母(つも)に行ったとされる武将は文屋綿麻呂である。
ここには、石の神で美男子である白明神から、壺子という美しい女性に逢いたいとの御告げがあり、女性が住んでいた壺村に 1000 人で石の神を引っぱり神社の地下に埋めたとする伝説が古くからあった。
また、一説には、神代の昔、当地に石の札を立て北方から来襲する悪鬼を防いでいたが、ある時悪鬼が石の札を土中に隠したため、神々が探し出した場所を「石文村」、石の札を建てた場所を「坪村」と呼ぶようになった。
その後、坂上田村麻呂が当地に進軍し全ての悪鬼を討ち滅ぼしたため、石の札の霊力が不要となり、当地に深さ7尺程の穴を掘り、石の札を千人で穴まで曳いてその上に社を設けたのが千曳神社の由来ともいう。
その後神仏習合し江戸時代初期には、別当寺院として大光院が祭祀を司ってきたが、延宝年間(1673-1681) に火災により焼失し衰微したが、明和2年(1765)に再興された。
昭和24年(1949)、千曳集落と石文集落の間の谷底の巨石から「日本中央」の文字を発見され、歌枕として有名な「壺の碑」とする説がある。
名前 |
千曳神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
普通に神社です。