案内の方は親切に説明してくれます。
BC:4000~BC:3000年頃の縄文時代前期〜中期の集落遺跡です。
標高10~15メートルの海側とは反対側の丘陵端に位置します。
当時は縄文海進のピーク時期にあたり現在より4mほど海面基準が高く、十三湖が遺跡前まで広がっていた事がこの遺跡からも分かります。
貝塚からは現在の十三湖の名産のシジミを始めコイや野ウサギ、落葉広葉樹林など豊かな食生活があったようです。
竪穴建物、墓、貝塚、捨て場、貯蔵穴やベンケイガイ製貝輪の生産など定住と交易と縄文中期の貝塚を伴う暮らしを今に伝えていますが埋め戻された広場だったりします。
全く何も無い訳ではなく人骨の発見場所などには実物大の写真展示があるなど工夫されていました。
当日は遺跡整備の事前調査とのことで発掘調査をされており4年後完成のガイダンス施設や今後が楽しみな遺跡です。
遺跡は保存の為、埋め戻されていて ただの原っぱです。
カルコに寄ってから来るとか、亀ヶ岡遺跡と共に ぜひガイドさんを頼む事をお勧めします。
民家の庭から人骨が発見された経緯など 地元の方にしか分からない様なお話が聞けて良かったです。
この丘から 縄文人はどのような思いで 岩木山を見ていたのかと 思いをはせ、争いの無かった時代を想像すると 何とも言えない気持ちになりました。
世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群★駐車場はなかったので、亀岡石器時代遺跡の方に駐車して、そこから歩いていくことが出来ます。
貝塚ですが、人骨が見つかった場所でもあるそうです。
亀ケ岡遺跡から200メートル歩いたところにある貝塚。
静かな高台であり、十三湖が眼下の田圃まで入っていたときは、そこの貝を採っていたことが伺えます。
貝塚が実際に見られる訳ではありませんが、案内の方は親切に説明してくれます🤗。
赤い木の下辺りで人骨が発見されたそうです。
説明板は分かり易かったです☺️
道が狭いので、路駐には気をつけましょう。
小高い丘、平坦地、周囲に川(沼)。
2021年6月6日に見学しました。
紀元前5500~4500年前の縄文時代前期から中期にかけての貝塚です。
縄文海進により、津軽平野は、現在よりも海岸線が、相当内陸部にありました。
この貝塚の丘陵地の下も海岸線であったと思われます。
円筒土器文化期を中心とした遺跡です。
ユネスコの世界遺産登録に指定される遺跡は、大木式土器文化圏ではなく、円筒土器文化圏であることが、興味深いと思います。
ベンケイカイの貝輪が多く出土しているため、北海道との交易が盛んであったのではと思いました。
世界遺産の縄文遺跡ですが、見た目は田だの草っぱら。
想像力のない人にはつまらない場所でしょう。
発掘で見つかった人骨や貝塚のパネルもありますが、もっと展示に工夫がほしいです。
つがる市のほぼ中央部、標高10~15㍍の丘陵地に立地する6千~4千年前の遺跡。
復元等、眼にするものがありません⁉️ 但し、記録の無い 縄文の時間 を、イメージするには最適と思います‼️
20210410田小野屋遺跡特段、何も無し。
風景。
史跡そのものが何処にあるのか分かりずらかったです。
青森県西部、津軽半島岩木川左岸の標高10~15m程度の丘陵東南端部に立地する縄文時代前期中頃~中期中頃(紀元前4000年~紀元前2500年頃)の円筒土器文化を中心とする遺跡で、日本海側では数少ない縄文時代前期の貝塚を伴う集落遺跡です。
ヤマトシジミ・イシガイなどの貝類を中心に、コイ科やスズキ属などの魚類、ガン・カモ類、アホウドリなどの鳥類の骨が出土しています。
また、クジラ・イルカなど大型ほ乳類の骨で作った骨角器や人骨なども発見されています。
特に、ベンケイガイ製の貝輪(ブレスレット)の未製品などが50点以上も出土しており、集落内で貝輪製作が行われていることが明らかになりました。
また、同時期のベンケイガイ製貝輪が北海道から出土していること、さらに田小屋野貝塚からは北海道産黒曜石が出土していることから、縄文時代の生産活動や海峡を越えた交易を知ることができます。
ベンケイガイ製貝輪の未製品の出土状況から、その原材料が採取でき、それほど遠くない位置(距離4km)にある日本海岸も活動の場として考えられ、豊富な水産資源に恵まれた温暖な自然環境下での自然との接し方や土地利用の在り方を示しています。
名前 |
田小屋野貝塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

縄文時代の人骨が出土したという珍しい遺跡です。
発掘された場所に写真パネルが展示してあります。
見つかった貝塚の写真もありました。
亀ヶ岡石器時代遺跡の近くにあり、そちらのガイドさんが田小屋野貝塚も案内してくれます。