親鸞聖人が鏡ケ池に姿を映しながら掘ったとされる上越...
竹之内草庵(親鸞聖人御旧跡) / / .
直江津から親不知子不知へ向かう途中偶然立ち寄った場所です。
写真は撮ったものの親鸞上人が流刑後に草庵を構えた地であったことは帰宅後に知りました。
いま吉川英治の「親鸞」のこの地での出来事を読むにつけあらためてこの地に立ち寄れたことに驚き、そして感謝。
親鸞聖人が越後の地に上陸され、最初に住まわれた場所だと伝えられています「竹之内草庵」を訪問いたしました。
場所は天台宗の五智国分寺の境内にあり、草庵の跡を示す石碑や「親鸞聖人坐像」を安置する堂があります。
配所に赴かれた聖人がおられたといわれる場所に実際に立ってみますと、そのご苦労は察するに余りあるものがあり何とも言えない気持ちになりました。
また雪深い上越の地を歩きますと、その後の聖人の力強さというかバイタリティの原点がここにもある感じがして、この時期に訪問してそれを感じることができて良かったと思いました。
親鸞聖人が鏡ケ池に姿を映しながら掘ったとされる上越市指定文化財の「親鸞聖人坐像」がここに!なぜか全体見えないようになっていましたが感激しました。
近くには親鸞聖人の像や腰かけ石などもございます。
以下は、五智国分寺のサイトの説明です。
「承元元年(1207)、専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となりました。
その時、国分寺住職は、聖人とは比叡山で同学の友でありましたので、国司に申し出て境内の五仏のそばに草庵を結び、この国分寺にお住まい頂きました。
その草庵は、竹林に囲まれていたので竹之内草庵と呼ばれるようになりました。
また、草庵には聖人が関東に旅立たれる際、別れを惜しむ同行の心根を思い、国分寺の北にある鏡ヶ池に姿を映し刻まれた親鸞聖人坐像が安置されています。
」
我が家の信仰する浄土真宗の宗祖「親鸞聖人」が滞在されていた場所と思うと、畏れ多くも感慨深い場所でした。
付近には親鸞聖人の像や「腰掛石」などもあり、時を越えて存在を感じられるような場所でした。
名前 |
竹之内草庵(親鸞聖人御旧跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
1207年に流罪となり、京都から越後国府(上越市直江津地区)にやってきた浄土真宗の開祖・親鸞が過ごした場所だと伝えられてます。