午前10時~午後5時 火曜日定休。
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 / / / .
長年、探していた粟崎遊園の入り口がここにあったとは気づかなかった。
館内は、内灘闘争や河北潟の漁業、粟崎遊園のことなど、知っている人にはかなり楽しめる。
こじんまりした博物館でした。
石川県立歴史博物館よりも粟ヶ崎遊園や内灘闘争の資料は充実していました。
場所は金沢医科大学病院のバス停から歩いて10分くらいで内灘大橋を渡り終えた温泉の横にあります。
鳥取砂丘につぐ日本第2位の大砂丘内灘砂丘の上に広がる内灘町縄文、弥生時代の土器やまがだま、石包丁から、戦前のモダン都市金沢の象徴である粟ケ崎遊園、基地反対運動の先駆けとされる内灘闘争、河北潟の干拓や、内灘町の文化財、北前船の木谷家文書や、羽柴秀吉の書状まで、多岐にわたる展示でじっくりみると1日では足りないくらい面白かった粟ケ崎遊園で使われていた衣装を着てみることもできるようで、粟ケ崎遊園で使われていた100以上前のピアノも素敵でしたし、地元の大学生が、デジタル復元された孔雀絵も迫力がありました。
砂丘の陰に潜む寒村だった内灘町が時には北陸の宝塚、時には反米軍闘争の地となり、金沢のベッドタウンになるまでの貴重な資料が展示される。
内灘町〔風と砂の館〕の入り口に銭屋五兵衛の句碑が建っている。
わか竹や風すき通ふ潟つゝき 亀巣隣に船橋聖一による説明碑(小説「海の百万石」の一部)も建っている。
碑面の若竹やの句は海上の豪商と称された銭屋五兵衛の作である。
彼の銭五疑獄の起きた前年嘉永4年の夏・・・銭屋五兵衛の墓は金沢市の〔本龍寺〕にある。
もう1基、中西舗土(1908ー2003)の句碑が建っている。
海の波砕けて鳴らず花大根 舗土。
内灘の歴史がわかるすばらしい所北陸の宝塚粟崎遊園、内灘闘争《金は一年、土地は万年》、浅電などなど興味深い。
また2階にはたくさんの凧の展示もある。
機会があればぜひ〜。
昭和初期に使用されていた古い道具や、粟ヶ崎遊園の歴史など学べます。
ジオラマを拝見しますと大きい遊園だったようです。
粟ヶ崎紛争等の15分程DVD見れるので見たほうが良いと思います。
名前 |
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 |
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ジャンル |
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電話番号 |
076-286-1189 |
住所 |
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営業時間 |
[月水木金土日] 10:00~17:00 [火] 定休日 |
関連サイト |
http://www.town.uchinada.lg.jp/webapps/www/section/detail.jsp?id=1438 |
評価 |
3.7 |
粟ヶ崎遊園や、内灘戦争についてよく知ることができた。
近くに粟ヶ崎遊園時代のゲートがあります。