板垣は死ぬが、自由は死なない。
2021/7/25来訪。
追手門をくぐると最初にこの銅像が目に入ります。
板垣退助、有名人です。
昔はお札にも使われたことのある有名人です。
高知城のある高知公園内に銅像があります。
板垣と言えば、自由民権運動や「板垣死すとも自由は死せず」との言が有名ですね。
(2021年10月)
幕末・明治から現代へ。
大きな役割を果たし、その影響は現代へ大きく残しているでしょう。
そんな偉人を多く輩出する高知。
その大きな一角の板垣退助像。
その偉大さからか、像も台座も大きいです。
土佐出身の政治家である板垣退助の銅像です。
明治維新の際には軍人として部隊を率いて、転戦。
甲州街道を通って、近藤勇と甲府城を巡って争いました(とは言え、板垣退助の率いる軍勢がすでに入場し、甲府城は新政府の手にあったので、近藤勇率いる旧幕府軍は脱走兵が相次ぎ、戦という感じにはなっていなかったようです)。
元々は乾という名字でしたが、甲州街道を鎮撫するということで、先祖の名前である板垣に戻しています。
征韓論を巡って下野した後は、野党側になり民権運動を推し進めた人物です。
ちなみに、「板垣死すとも自由は死せず」というのは、暴漢に襲われて刺された際に、板垣退助が刺客に対して、もしも自分が死ぬことがあったとしても「自由は永世不滅なるべき」と笑ったという話がもとになっているようです。
2020年2月25日訪問その昔の亡父との会話を思い出した。
板垣死すとも…父「いや、『うらが死んだち自由が死ぬるかねや』だったのでは」私「たぶん『痛い』と言ってただけじゃ?」
板垣は死ぬが、自由は死なない。
無料の公民権に関する研究がある場合は、板垣登介氏を知っておく必要があります(原文)板垣雖死,自由不死。
若是對自由民權有相關研究的人一定要知道板垣退助先生。
名前 |
板垣退助先生像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
1956年5月11日に再建除幕されたもので、題字は当時の内閣総理大臣吉田茂の書。