題字は当時の内閣総理大臣吉田茂の書。
こちらの像の前は広いので会社の慰安旅行や老人会等のツアーを含む記念写真の撮影スポットとして適しているかと思われますですぜぇ~。
旦那ァ~♪ハッイ。
自由民権運動の父と呼ばれた板垣退助先生の銅像です。
「板垣シストモ自由ハシセズ」と有名な名言を残しています。
板垣退助像 高知城をバックに撮れて満足。
板垣さんの名言好きです。
1956年5月11日に再建除幕されたもので、題字は当時の内閣総理大臣吉田茂の書。
2021/7/25来訪。
追手門をくぐると最初にこの銅像が目に入ります。
板垣退助、有名人です。
昔はお札にも使われたことのある有名人です。
板垣死すとも自由は死せずの碑と共に城内にあります。
高知城のある高知公園内に銅像があります。
板垣と言えば、自由民権運動や「板垣死すとも自由は死せず」との言が有名ですね。
(2021年10月)
幕末・明治から現代へ。
大きな役割を果たし、その影響は現代へ大きく残しているでしょう。
そんな偉人を多く輩出する高知。
その大きな一角の板垣退助像。
その偉大さからか、像も台座も大きいです。
お城の入り口近くにあります。
高知の偉人の一人ですね。
あらためて感銘、認識いたしました。
■板垣退助像高知城に在る大層立派な銅像。脇に名文言が彫られた石柱も在る。
板垣さん、めちゃくちゃカッコ良かったなぁ。
死んでも自由は生きているんだなと実感できました。
土佐出身の政治家である板垣退助の銅像です。
明治維新の際には軍人として部隊を率いて、転戦。
甲州街道を通って、近藤勇と甲府城を巡って争いました(とは言え、板垣退助の率いる軍勢がすでに入場し、甲府城は新政府の手にあったので、近藤勇率いる旧幕府軍は脱走兵が相次ぎ、戦という感じにはなっていなかったようです)。
元々は乾という名字でしたが、甲州街道を鎮撫するということで、先祖の名前である板垣に戻しています。
征韓論を巡って下野した後は、野党側になり民権運動を推し進めた人物です。
ちなみに、「板垣死すとも自由は死せず」というのは、暴漢に襲われて刺された際に、板垣退助が刺客に対して、もしも自分が死ぬことがあったとしても「自由は永世不滅なるべき」と笑ったという話がもとになっているようです。
板垣死すとも自由は死せず。
雄大な銅像。
何か勇気をもらえる気がする。
2020年2月25日訪問その昔の亡父との会話を思い出した。
板垣死すとも…父「いや、『うらが死んだち自由が死ぬるかねや』だったのでは」私「たぶん『痛い』と言ってただけじゃ?」
こんなところに退助。
板垣は死ぬが、自由は死なない。
無料の公民権に関する研究がある場合は、板垣登介氏を知っておく必要があります(原文)板垣雖死,自由不死。
若是對自由民權有相關研究的人一定要知道板垣退助先生。
「板垣死すとも自由は死せず」は、記憶に残る言葉です。
立派な像だな。
名前 |
板垣退助先生像 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/itagakidouzou.html |
評価 |
4.3 |
高知城の入り口近くに設置されてる板垣退助像です。