喜界島の昔の葬式葬制本土の習俗と違うのが、葬制であ...
名前 |
高千穂神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.kagojinjacho.or.jp/shrine-search/area-ooshima/%E5%96%9C%E7%95%8C%E7%94%BA/863/ |
評価 |
4.0 |
喜界島の昔の葬式葬制本土の習俗と違うのが、葬制であろう。
通常、火葬が条例化される前までは、土葬である。
人が亡くなり、お通や、お葬式をすませ、そのまま、墓場まで、🚶🚶🚶🚶🚶🚶🏃列をつくり、土の中に埋められ、そのまんまにする。
しかし、沖縄、奄美では、🌬️風葬といって、遺体を大昔は、洞窟にに葬られたりしていたが、江戸時代のいつごろかわからないが、喜界島では、ムヤーといって、仮のお墓が、つくられ、約3年ほど遺体をそのお墓に葬り、改葬といって、そのお墓を掘り起こし、白骨化した骨をきれいにして、大きな骨壷にその骨をおさめ本来のお墓におさめるようである。
もちろん、現在では、火葬が条例化したため、その風習は禁止されている。
同じ改葬をしている沖縄とは、墓の形が異なり、奄美は、本土並み、沖縄は、門中(ムンチュー:喜界島では、ファロージー)墓といい、大きなお墓で、人も入れ、戦時中には防空壕にもなったようである。
形は、主に亀甲墓、家風墓とがあり、中国の影響のようである。
この奄美と沖縄の違いは、奄美が元々は沖縄文化圏であったが、江戸時代初期に奄美が薩摩の支配になったため、恐らく、奄美の墓が本土並みになったものと思われる。
喜界島。
島唯一の寺院 [浄真寺]。
浄真寺より除夜の🔔鐘が島中響きわたります。
約70年に渡り住職が不在で、島外の同組の組長が代々住職代務を務めておられましたが、実質は門徒だけで護持する状態が続いていました。
そのような状況の中、2013年にはNET縁を通じて、同教区の僧侶が衆徒として入寺され、荒廃した本堂を再び門徒が集えるようにと私費で修繕し、法務に努められました。
しかし、ご家族の(おばあさん)療養生活のために鹿児島市を中心とした生活を余儀なくされました。
そのため、2017年に浄真寺の門徒が得度し、法務を担っています。
交通の便や経済的な事情から、法要や法座に布教使を招きづらいなどの離島特有の問題を抱え、厳粛な法要も、お寺の僧侶以外の法話を聞いたことがない状態が続き、門信徒の寺院に対する関心度が薄れていました。
教区委員会委員が実態調査でお話を伺うと、「いろんな方の法話を聞いてみたい」という要望や、「寺院運営をどのようにすればよいのか」という意見等が責任役員、門徒総代及び衆徒からあり、教区委員会として早々の対策を講じるため、まず、法座支援として、浄真寺報恩講へ2017年は教務所職員を派遣し、翌年からは教区布教団員の派遣を行いました。
本堂には、法話を心待ちにされていた門信徒が集い、2017年以降の報恩講では満堂の中に、熱心に聴聞される姿が見受けられました。
この活動により、門信徒の寺院への関心度が回復しはじめ、役員の寺院運営に対する意識も向上されました。
そのような中、寺院運営の一環として、本堂の一画に一時預かりとしてご遺骨をお預かりしている現状や、境内地として充分な面積があったことから、教区委員会より納骨堂を建設し運営することで、今後、寺院を維持していくうえでの財源となるのではないかと提案しました。
提案を受け、納骨堂建設計画が役員会や門徒総会で了承され、2019年には「浄真寺納骨堂落成慶讃記念法要」が勤修され、多くの参拝者とともに盛大に勤められました。
2021年6月現在では、50基の納骨区画の内、32基が使用中となっています。
寺院の振興対策として、教区委員会と布教団が連携した取り組みにより、浄土真宗のみ教えを聴聞いただくご縁づくりができたことは、浄真寺の活性化に繋がったのではと感じます。