編集して再投稿します。
牽牛子塚古墳のすぐ側にある大田皇女の可能性が高いとされている古墳で、主に石室跡が見れます。
現地にガイドさんがいて暗室の中で説明してくれます。
石室を見学するには事前申し込みが必要です。
埋め直された姿は古墳らしくないが、石室を外から見ることが多少可能なため、まあ「よろしい」。
発掘調査後に埋め戻されていましたが牽牛子塚古墳とあわせて復元されました真の斉明天皇陵と目されていた牽牛子塚古墳の前から、日本書紀の記述通りこの古墳が見つかりましたこの発見で牽牛子塚古墳の被葬者は斉明天皇と娘の間人皇女越塚御門古墳の被葬者は斉明天皇の孫太田皇女だとはっきりしたと思います。
立派な古墳です(^_^) いやほんと今年(2022)の3月に復元完了したそうですけど、ホンマにこんな形やったんですか? なんか立派すぎるわ 欽明天皇のお墓かもしれないと言うことで当時から立派に作らないかんのでしょうけど、グルリと延べ板で構築されてまるで要塞みたい(^_^) 素人考えで古墳って盛り土が当たり前だと思ってたのですが、色々有るんですね まあ一度は見に行ってください その価値は充分有りますよ。
越塚御門古墳何よりこの古墳が検出されたことはエポックメーキングなことで、書紀に斉明天皇陵の近くに葬られたと記された太田皇女の墳墓と考えられます。
太田皇女は天智天皇の娘ですが、右大臣蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘を母としていますから、この墳墓・(蘇我氏の墳墓の特徴である)方墳の造営には母の実家・蘇我氏が関わっていたと考えられます。
再び、越塚御門古墳の場所がちかくの農民連奈良産直センターになっていたので、編集して再投稿します。
古墳マニアの方はお間違えのないように…、牽牛子塚古墳の石室から南東20mほどです。
なお、2月に訪れたときには整備工事をしていて、まぢかで見学できなかったので、古墳の評価はできません。
グーグルマップは、古墳の場所を特定するのに利用させてもらっています。
でも、関東の古墳では間違ったところへ案内してくれて後日、再訪した苦い経験があります。
2010年12月9日に発見が公表された古墳。
墳形や規模は未定。
築造時期は古墳時代終末期と推定。
日本書紀の記述から飛鳥時代の皇族である大田皇女の墓である可能性が高いと言われている。
名前 |
越塚御門古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main00123.html |
評価 |
4.3 |
整備された牽牛子塚古墳の前に寄り添うようにあるのが越塚御門古墳。
斉明天皇の孫娘の大田皇女が葬られている。
内部の石室の様子も見ることができ、とても立派な石室である事がわかる。