延喜式神名帳の高市郡の項に記載のある式内大社・高市...
延喜式神名帳の高市郡の項に記載のある式内大社・高市御縣坐鴨事代主神社の論社の一社。
藤原宮跡の広場の木に石囲いがあり、その石柱に「鴨公神社」と彫られている。
おそらく、この石柱は鴨公神社が廃絶する前、実際に神社で使われていたものを転用したものなのだろう。
江戸時代中期に書かれた「大和志」の高市御縣坐鴨事代主神社の項に次の通り記載がある。
「大 月次 新嘗 貞観元年正月授従十位 在高殿村今称大宮又名鴨公森」この記載が高市御縣坐鴨事代主神社は鴨公神社であるとする理由となっている。
しかし、明治に書かれた「大和志料」をはじめ、多くがこの説には否定的で、橿原市雲梯(うなて)町にある河俣神社を比定社としている。
その理由は大和志料に詳しく書かれているのだが、それによると、出雲国造神賀詞に事代主の御魂を宇奈提(うなて)の神奈備に坐せりと伝えており、その宇奈提とは雲梯のこと。
そして、ウナテとは社辺の川をいう。
万葉集には次の歌がある。
想わぬを想うといわば真鳥住む 卯名手(雲梯)の杜の神し知らさむ「思ってもいないのに、思っていますなどと言えば、真鳥(=鷲)住む雲梯の神社の神様がその嘘は全て知っています」
鴨公神社(かもぎみじんじゃ)と読む。
大昔に藤原宮の太極殿があった場所で、ここから大和三山の耳成山、畝傍山、天香久山を望める。
御祭神:事代主命創建は不明です。
藤原宮の大極殿に鎮座していた神社で、鴨公という名は大極殿がある地名であったそうです。
個人的に思ったのが、奈良県、特に御所や橿原では事代主命を祀る神社が多いという事でした。
拝:2020/07/19
藤原宮大極殿跡『鴨公神社』・・仕事帰りに藤原京跡へ、蓮の花を見ようと寄り道、その後久しぶりに「鴨公神社」に出向きました。
藤原宮は大和三山を三角で結ぶ中心に造られた都。
現在は広大な平地の中に大極殿院閤門の柱跡モニュメントがあります。
その向こうに見える森が大宮土檀(おおみやどだん)とよばれる大極殿跡です。
この地で持統天皇・文武天皇が政務を行っていた所でもあり、今は一本の神木を瑞垣が囲むように造られた鴨公神社跡が残るのみです。
鴨公神社は藤原宮大極殿跡に創建されていることから、藤原宮は710年まで宮殿として存在、その後に鴨公神社が創建されたのは710年以降となります。
また大極殿跡に霊的集な力を持つ鴨族の末裔が奉斎する社を何故に建てたのか、と考えてしまいます。
御神木です。
静謐な空気に包まれました。
名前 |
鴨公神社跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
藤原京の中にあり、一画だけ森になった所にあります。