鳥居の様子は個人的には好みです。
延喜式神名帳の河内國大縣郡の項に若倭姫命神社と記載のある式内社。
若倭彦神社から北に600mぐらいの山裾に鎮座。
隣に瑠璃光寺というお寺がある。
この神社も明治に鐸比古鐸比賣神社に合祀されたが、戦後に復興。
本殿裏は大きな岩壁になっていて、磐座だった可能性もあるように思う。
境内には瑠璃光寺の石造の如来形坐像と菩薩形立像があって、市の案内板によると、次の通り。
古墳時代後期の凝灰岩製家形石棺の屋蓋部を転用したもので、こうした石仏は市内の高井田、青谷地区でも見ることができる。
如来形坐像の背面には屋根形、縄掛け突起などの石棺の旧状がよく残されている。
作られたのは鎌倉時代であろうと。
また、この二体の石仏は野道の傍らに半ば埋もれた状態で置かれていたものか、農具や刃物の研ぎ跡が見られる、とある。
昔は石仏を砥石替わりにしていたのか。
ここに、若倭姫神社があることに驚きました♥️
御祭神:若倭姫命創建は不明です。
当社より南方に鎮座する若倭彦神社と同様、6世紀頃にこの地で勢力を持っていた若倭部連氏の祖神である若倭姫命を祀ったのが始まりと伝えられています。
当社は式内社で、若倭姫神社は中世、醫王山薬師寺(瑠璃光寺)の鎮守社であったそうです。
拝:2020/07/07
「業平の道/中河内歴史探訪の道」巻二十二の一の二 柏原市山ノ井町若倭姫神社(わかやまとひめじんじゃ)歴史資料館 資料 No.2延喜式内社で、創建は不詳ですが、柏原市にはよくこういった夫婦神社が存在するので興味深いことです。
こちらより少し南に進めたところに「若倭彦神社」がありまして、そちらの若倭彦神社同様、六世紀頃この地で勢力を持っていた若倭部連氏の祖神(オヤガミu003d神として祀る祖先)である若倭姫命を祀ったのが創始であろうといわれています。
若倭姫命を御祭神としています。
(注;グーグルでは若倭姫神社とし、歴史資料館では若倭姫命神社としていますがどちらも間違いではないとしてください)瑠璃光寺の右手奥に石道標と一の鳥居がありますが、紅葉など鬱蒼と雑木が茂っておりますので、少し暗い感じの(迷ったらどうしよう.....)社です。
石段を登り歩みを進めてゆくと今度は注連柱(標柱)で境内に入ることになります。
境内に稲荷社をもち、見晴らしの良い(でも晩夏で青葉いっぱい蚊いっぱい)高台に鎮座おはします。
ここからは資料の番号通りに進むもよし、高台にある社寺仏閣を先に済ませてしまうかご自身のペースとお好みでお進みください。
ただし、このいただいた地図をクリアした後、時間があり次のスポットにお立ち寄りになるころには前者の場合、結構足にきてるかもしれません。
番号通りであれば、山井寺(No.3)を通り、若倭彦命神社(No.4)です。
名前 |
若倭姫神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-972-0016 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/kashiwara-city/06041wakayamatohimejinja.html |
評価 |
4.3 |
鬱蒼とした木々の中にある、あまり人が訪れていない神社ですが、鳥居の様子は個人的には好みです。
ここより南のある「若倭彦神社」とは対になる神社です。
場所もやや山手にあるので、行くのも少し大変でした。