日本にも天文学に目覚めた人があらわれた。
ガレリオ•ガリレイから遅れることニ世紀、日本にも天文学に目覚めた人があらわれた。
自宅の近く長堀川に架かる橋、富田屋橋から英国製天文機器を用い星空を観測したという。
自らも天文機器を考案したらしい。
実際の成果は分からないが、江戸後期に天の不思議に目を向けただけでも素晴らしい。
間長涯(1756~1816)は、富田屋橋北詰で、十一屋という質屋を営む家に生まれ、本名間重富(長涯は号である)といい幼い頃から富田屋橋の上で星を眺めていた。
16歳で家業を継いだが、やがて天文学を志し麻田剛立に入門した。
寛政7年(1795)40歳のとき幕府の改暦にあたり高橋至時とともに出府し江戸浅草天文台で中国の「暦象考成」を基に3年で「寛政暦」を完成させた。
その功により、幕府直参に取り立てられる話があったが、辞退し帰阪。
その後、富田屋橋に英国製の観測機器を据え好きな天文観測に没頭した。
この時橋は通行止めとなるのですが、堀江の住民で文句をいう者は1人もいなかった。
碑は昭和35年大阪市によって長堀川のほとりに建てられたが、長堀川の埋め立てによりこの地に移された。
歴史を感じる。
名前 |
間長涯天文観測の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
こんな道路の真ん中にあるなんて。
気づかない人多いのでは。