公の胞衣(大阪ではヨナと呼び淀殿の胎盤、胎児を包ん...
秀頼公胞衣塚大明神文禄二(一五九三)年、豊臣秀頼公御誕生の砌、公の胞衣(大阪ではヨナと呼び淀殿の胎盤、胎児を包んでいる膜など)を埋め申したのが大阪城三の丸に当たる当玉造の地であった。
以来、豊臣家の恩義を忘れぬ地元の人々により世々祀り継がれてきたが昭和二十年の戦火による焼損のため、上町一丁目(もと寺山町)から玉造一丁目(もと東阪町)へ遷座申し当社宮司が斎主となり奉祭し、耒たったのである。
さて、このたび大阪築城四百年を吉兆とし大明神を公ゆかりの当社境内に遷座申すこととなった。
なお、当地の民族にみどり子の夜泣き子の悩みを封ずるのに、当大明神のほとりに生ずる笹をご祈祷の上もらい受け、子の寝床の下に敷けば霊験あらたかである信ぜられている。
秀頼公と淀君を結ぶ胎盤や卵膜などを鎮めているそう。
名前 |
胞衣塚大明神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
豊臣秀吉 朝鮮出兵の陣 名護屋城の書籍を読み、秀頼公 淀公の歴史に触れ、当神社 玉造稲荷神社を参拝し、秀頼公 淀君を繋ぐ 胎盤、卵膜を奉った 祠も参拝させて頂きました。