1180年(治承4年)に焼失し間もなく再建されたら...
興福寺の五重塔は有名ですが、三重塔はあまり知られていませんが、こちらも国宝です三条通り沿いの高札跡のところの少し先の石段を登り途中で左手に入ったところにあります一段低いところに建っているので余計に目立ちませんしかし思わず見とれてしまう美しさを持った塔です建立は1143年だそうですが、1180年の平重衡の南都焼討で焼失して1210年頃に再建されたものだそうで、北円堂と同じく興福寺の最古の建築物だそうです普段は内部非公開で手前の柵から見上げるのみですが、毎年7月7日に特別公開されます初層の内陣には板に薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来を東西南北の各面にそれぞれ千体も描かれていますここから北円堂に上がる石段が伸びていますこの石段から見上げると北円堂が真正面に見えてそれは美しいです。
1180年(治承4年)に焼失し間もなく再建されたらしいです。
北円堂と共に興福寺で最古の建物だそうです。
平安時代の建築様式を伝えていると言われています。
この三重の塔が建っている辺りは観光客もあまり来ないので静けさが保たれていて、その静寂の中で静かに建っている姿はとても凛としていて実際の大きさ以上に大きく見えます。
この静けさがこれからも続くことを祈ります。
興福寺三重塔は南円堂の西側にひっそり建ちあまり訪れる人も少ないが立派な国宝。
南円堂もこの西側から見た方が私には美しくみえる。
五重塔、東金堂、国宝館の順に巡り、そうだ三重塔も見たい。
と歩きました。
案内図を見たら境内の端っこ。
興福寺で最古の建物でした。
こじんまりしていて、迫力ある五重塔に比べれば可愛らしい印象ですが、歴史を感じられる建物です。
2023年の特別開帳で、7月7日(金)は三重塔特別公開があるようです。
弁才天供は10時〜予定。
(変更があるかも)初層東面に祀られる弁才天像と十五童子像、見たいなぁ。
端っこで目立たないですが、一番貴重な三重塔です。
外から眺めるだけですが、人も居なくて趣き深い感じです。
隠れスポットのような気がする。
興福寺で最古の建物で、国宝です。
五重塔にそのまま行ってしまいそうだけど、実は横道を逸れるとひっそりとあるのです。
趣きがあって良かったです。
恥ずかしながら興福寺には何度か参詣していながら、五重塔や東金堂、国宝館だけを観て回りすっかりご満悦だったので、三重塔もあるなんてちっとも知らなかった。
だって、奈良公園周辺はたいてい奈良観光の最終日の午前中を充てているので、毎回駆け足になってしまうのだから仕方ないじゃん。
という言い訳も齢六十間近になっては益々恥ずかしいだけ。
三重塔は興福寺の建物の中では歴史的には新しい建物でありながら、現存する建築物としては「北円堂」と並ぶ最も古い建築物。
平安後期の康治2年(1143)、崇徳天皇の中宮が建てさせたもので、五重塔や東金堂、南円堂などが奈良から平安初頭に建立されたのと比べると相当遅い。
しかし治承4年(1180)の平重衡による南都焼き討ちによって被害を受けた後、三重塔は迅速に再建されてから他のお堂と異なり、その後の災害や戦乱、廃仏毀釈を乗り越えて、現在までほぼ再建時の姿のままで残された貴重な存在なのだ。
今回の興福寺参詣も奈良旅行の最終日の最後となったのだが、国宝館を見終えた長男が「建物は何度も観ているから、俺はもう帰る」と商店街の方向にさっさと歩いて行ったのを追いかけて行ったら偶々目に入った次第。
ひっそりと佇む国宝です。
令和3年3月下旬に近鉄奈良駅を降りて、興福寺様に参拝。
猿沢池方面からではなく、近鉄奈良駅から続く商店街側より境内に入り、五重塔や金堂があり、鹿がたくさんいる中心エリアに向かう途中に、三重塔を発見。
いままで何度も興福寺様には訪問させていただいていたのだが、こちらのルートを通ったことがなく、初めての訪問。
観光客の方々の主要なルートからは外れていたせいか、この後訪問した金堂付近には多くの観光客がいたにも関わらず、この三重塔付近にはほぼ人がおらず、快晴のなか、三重塔をバックに写真に写った景色に見とれ時間をすごしておりました。
五重塔ももちろんすごいのですが、あまりの高さと、高さと横幅のバランスからくる感覚が少し圧倒される感じがあるのですが、この三重の塔はバランスがよく、背後の緑の景気もあるため個人的にはこちらのほうが居心地よくすごせました。
興福寺から猿沢池に降りる石段の中腹奥にひっそりと建っている。
古い兎に角古い、五重塔より古そうで歴史が溢れている、興福寺には50年以上も前から来ているが三重塔は初めて拝観した。
興福寺でも一寸離れた場所で拝観者も少ないくてとても静かな空間です。
国宝 三重塔興福寺の角にひっそりと立つ綺麗な小塔です。
正面から青空を背景に塔の細部が分かる写真を撮りたいと思うのですが午後や夕方に訪れるのですが逆光に成り思う様にとれません。
つぎは正面に日があたる午前中に来て撮りたいです。
境内北西の、少し低い場所に建てられた三重塔。
北円堂とともに、興福寺最古の建造物です。
7月7日の弁才天供にて参拝が可能です。
〔国宝〕
興福寺三重塔は鎌倉時代の再建で、国宝に指定されています。
高さ18.9mだそうです。
毎年7/7に内部が開扉されますが、2016年に8月から10月にかけて公開され拝観しました。
12世紀中頃に、崇徳天皇の中宮 皇嘉門院聖子によって建立された三重塔が、1180年の平重衡の”南都焼き討ち”によって他の堂塔と共に焼失。
興福寺は、直ぐに再建に取り掛かり(流石、藤原氏の氏寺!)、現三重塔もその際に再建されたもので、その後の幾多の艱難辛苦を耐へ忍び、結果、現興福寺の堂塔中”北円堂”とともに最古の建造物だそうでやす。
その北円堂が1210年頃、鎌倉時代になってからの再建だそうなので、この塔もその頃の落慶ってことのようでやす。
深い軒の出を支えるのは、三層と二層では、丸桁(ガギョウ/ガンギョウ:最も軒端に近い桁材)を、側柱(建物の外側に立つ柱)の外へ三段階に持ち出す”三手先組”と呼ばれる組物でありますが、初層では側柱が三手先組の二手目の所に立っているため母屋が上層に比べ広くなり、結果、初層では一手しか持ち出しておらず、支輪が壁から直接丸桁に向かって上がっています。
そのため全体のお姿が、下膨れ…いや、末広がりになっております。
皆さんそれぞれ、好みは分かれるところではあるでしょうが、これはこれで安定感があり、初層がふわりと膨らんだ姿は柔らかで、塔の規模もあり威圧的な所のない優雅な塔であると思う。
惜しむらくは、初層の壁が板張りで、黒ずんで見えること。
でも、彩色がされていたであろう落慶当時を思えば…やはり優美な塔だと思う。
北円堂とともに鎌倉初期の再建。
興福寺の古い建物の一つで、国宝です。
五重塔や南円堂辺りとは異なり観光客も少なく、ゆっくりと雰囲気を味わえます。
北円堂と共に興福寺最古の建物で国宝ですが訪れる方は少ないです。
鎌倉時代の建築ですが平安時代の様式を色濃く残しています。
軽やかで優美な佇まいは五重塔とは対照的です。
五重の塔があるので目立たないけど、趣があって好きです‼️
1143(康治2)年崇徳天皇の中宮が創建。
1180(治承4)年、被災したが間もなく再建。
鎌倉時代の建築ようしだが、木割が軽やかで優美な線形を醸し出していて。
平安の建築様式をよく伝えている。
北円堂とともに興福寺最古の建築物。
南円堂の石段下の西隅にひっそりと建つ国宝建造物。
三重塔(国宝)は 平安末期1143年の創建ですが 南都焼き打ちで1180年に焼失し その後 鎌倉時代初頭に再建され 興福寺では一番古い伽藍です 高さが19.1mで 塔としては低く また広大な境内の 道を隔てた西南の端に位置し 参拝者や観光客の 目に触れにくく 国宝の建物にも拘わらず 塔の存在に気付かない方が ほとんどで 残念で勿体ない思いです興福寺に来られましたら スリムで可愛く お洒落な三重塔を思いだし ご覧になって頂ければと思います❗
こんなに素晴らしい塔なのに、三重塔は興福寺境内の一段低い土地にあって塔自体の高さも五重塔ほどはなく、あまり目立たないために、見過ごされることの多い、可哀想な三重の塔。
興福寺境内にも特に案内がないのです。
名前 |
興福寺三重塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0742-22-7755 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
小ぶりな感じです。
立地の関係か、スルーされて余り観光客は居ません。
真っ黒で好みです。