四つ橋線の駅名にもなっている橋です。
◽アクセス①四ツ橋線/肥後橋駅/北改札④:徒歩4分②御堂筋線/淀屋橋駅/北改札⑥:徒歩8分◽肥後橋沿革▪️土佐堀川に架かる橋で、西区と中之島を結んでいます。
▪️嘗て、橋の北詰の中之島に肥後熊本藩の蔵屋敷があったことより「肥後殿橋」と。
▪️洪水禍による流失後、1881(明治21)年の再架橋時に、木橋から英国製の鉄橋に。
▪️1926(大正15)年、ルネサンス様式のコンクリート製の橋に架け変えられました。
▪️現在の橋は、1994(平成6)年に改装されたものです。
◽「上方落語の聖地 ~中之島散策編~」▪️「胴斬り」:常安橋▪️「胴とり」:越中橋・土佐堀橋▪️「次の御用日」:蛸の松▪️「米揚げ笊」:栴檀の木橋▪️「米揚げ笊」 「冬の遊び」 「鹿政談」「住吉駕籠」:堂島米市場跡碑(ガーデンブリッジ北詰)▪️「鷺取り」:玉江橋▪️「淀の鯉」:佐賀藩蔵屋敷跡▪️「雁風呂」:肥後橋▪️「雁風呂」 「木津勘助」:淀屋の屋敷跡▪️「船弁慶」 「遊山船」:難波橋▪️「須磨の浦風」 「天神橋」:天神橋▪️「鴻池の犬」 「三十石」:旧鴻池本宅跡▪️「千両蜜柑」:天満青物市場碑▪️「熊野詣」:熊野街道起点の碑▪️「三十石」「胴乱の幸助」:八軒家浜船着場。
江戸時代、肥後橋の北詰の中之島に肥後藩の蔵屋敷があり、このあたりは肥後島町と呼ばれた。
明暦3年(1657)の「新板大坂之図」には肥後殿橋とあり、古くはこう呼ばれたこともあったらしい。
肥後藩の蔵屋敷は元禄時代になって中之島西部の越中橋北詰へ移転したが、橋名と町名はそのまま残った。
肥後橋が渡辺橋の通りに移ったのは明治21年に鉄橋化されたときからである。
18年の洪水で流失した後、渡辺橋と共に鉄橋で架けられた。
肥後・渡辺橋の通りは、明治7年にすでに造られていた大阪駅へのメインストリートであったため、早く鉄橋化されたものと思われる。
大正15年に第一次都市計画事業によって完成した橋は、中央部がスパン27.0mの鋼アーチよりなり、両側に橋台兼用のコンクリートアーチがあった。
意匠の様式はスパニッシュルネッサンス式と呼ばれ、河川上の橋脚の位置に豪華な飾塔を立て、非常に華やかで、かつ重厚な作りの橋であった。
この橋も戦後になって四ツ橋線の地下鉄3号線を通す工事に伴って架け替えられた。
円盤状の支柱をもつユニークな高欄をもっていたが、平成6年に橋面と高欄部の改装が行われ、より華やかなデザインのものになった。
名前 |
肥後橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6615-6818 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
地下鉄肥後橋駅から降りてすぐ。