節分行事などで知られる神社。
節分行事などで知られる神社。
東一条通を東へ歩いていくと、京大正門を過ぎた先に一の鳥居が見えてきます。
参道をたどり、石段を登り詰めた先の境内は、中央に拝殿を配し、その向こうに中門が建つ独特の構造。
参拝は本殿前の中門に向って行うことになります。
周辺には、かつて吉田神道の中枢であった大元宮をはじめ、若宮社・神楽岡社・菓祖神社など多数の摂末社が並んでいます。
地元の方に愛されている静かな神社節分祭は大賑わいで盛大に行われるようですが、時期を外せば静かな時間を過ごせる清々しい神社です。
階段は少し登りますが境内には休憩するところもありますし、そこまで苦てはないと思います。
御朱印を御朱印帳と共にいただきました。
持参しても直書きしていただけるようです。
また、宮司さんも巫女さんも優しくて、境内の雰囲気も相まってついつい長居してしまいます。
1つだけ難点なのはGoogleナビ。
ナビ通りに行こうとすると北参道の山道コースになるのてお気をつけください。
どの道を取るにしても京大沿い行くのが正解です。
京都大学の近くに赤い鳥居が建ち、京大生にも馴染み深い吉田神社。
平安京の守護神として859年に創建され、室町時代から続く神事には多くの参拝者が訪れる厄除け開運の神様。
令和5年2月3日の節分祭に訪れました。
参道には多くの屋台が並び、2・3日両日は神社境内駐車場を利用できないとのことで、バスに乗って「京大前/吉田神社」で降り、歩いて参拝に行きました。
翠色の綺麗な姿の「神鹿」さんと、「千代に八千代にさざれ石の〜♪」と君が代で謳われた「さざれ石」に出会いました^^
毎年、混雑を避けて節分の1週間ほど前にお参りに来ます。
神社としてはそんなに大きくはありませんが、節分祭で有名。
こちらの吉田神社から八坂神社、壬生寺、北野天神をお参りする四方参りが京都の節分の風習ですが、いつも省略して、鬼門・裏鬼門に当たる吉田神社と壬生寺だけをお参りしています。
この時期、抽選券付きの節分の豆が買えます。
節分祭で有名な吉田神社です。
令和五年一月三日に詣でました。
本宮は四柱の神様が祀られていますが、大元宮には日本中の八百万の神々が祀られています。
一度に八百万の神々にお参りが出来ます。
お昼ごろに到着しましたが、駐車場もすんなり停められ人もまばらでした。
社格の高さからすると、超穴場ではないでしょうか?(注)大元宮は正月3日間と節分祭と毎月1日のみ中門の中に入れます。
地元の神社?厄よけや、お菓子、全国の神様が集まっているなど、ちょっと風変わりな神社。
パワースポットのご利益にあやかろうと下心丸出しで参拝😋何か特別あるわけではないけど、吉田山のエネルギーもあるのか、雰囲気ある神社です。
今回は、蹴上駅から岡崎神社、吉田山の散歩をしながらの参詣。
最寄りの京阪出町柳駅までも20分は歩くので、どう行っても程よい散歩参詣ルート。
また来たい雰囲気の神社でした。
22年7月25日に訪れました。
まず「宗忠神社」から東参道を通り、「末社 斎場所大元宮」に行きました。
「斎場所大元宮」は宇宙のはじまりの神を中心に、八百万の神や、全国の神々が祀られている最強のパワースポットです。
そのほか包丁の神、料理飲食の祖神を祀った山陰神社や、お菓子の神様を祀った菓祖神社、四神石が鎮座する今宮社など、特徴のある摂社や末社がありました。
本宮の前に池があるのが珍しいなぁと思いました。
御朱印をいただきました。
京都大学の東側、吉田山に鎮座❗️清和天皇の貞観元年(859年)に中納言藤原山蔭が京の都の守り神として創建、祭神は勧請元の春日大社と同じ4柱の神✨本殿4棟が鮮やかに並ぶ景観が綺麗です⛩️隆盛を極めた平安京における藤原氏一門の氏神として崇拝、なので社紋は「下り藤」‼️本宮だけではなく奥の深い吉田神社、面白いのは「菓祖神社/菓子の神」「山蔭神社/料理の神」などがあります、寄進されているのが良く知っている企業の皆さんでした😲
節分祭で有名な神社。
吉田山の麓に鎮座する。
節分祭には疫神祭、追儺式(鬼やらい)、火炉祭などが行われ、毎年約50万人の参拝者があるという。
京都大学のすぐ近く。
こちらには初めて参拝させて頂きました。
それと言うのも私自身、今年に入ってから災難続き。
お祓いをしたくて検索したところ、こちらにはきたことがないなぁ、と思いお祓いをして頂きました。
境内では花嫁花婿さんもおり、微笑ましい光景も。
結構広く何社もありましたが、全て回れずに終わりました。
やっぱり境内の空気は澄んでいて静かでいいものですね。
京都大学の裏手にある神社です。
京大生は一度くらいお参りしたことがあるのではないかと思います。
今回数十年ぶりに改めてお参りさせていただきました。
細かな専門的なことはわかりません。
参道坂道の脇にある幼稚園の子供達の騒ぐ声と保育士さんの悲鳴が聞こえてきて、こちらの方が印象深かったです。
子供達の元気な声には癒されますが、ママ友が騒ぐことがあるのであれば、それはもっての他です。
私も注意喚起があって然るべきだと思います。
静かな気持ちで祈りを捧げる場所ですから。
バス停京都大学前徒歩圏内。
平安京の鬼門に位置する吉田山に創建されたお社で、節分厄除け詣り発祥の地として知られています。
こちらの節分祭の儀式である鬼やらいは有名です。
春日造の本宮、珍しい母屋の平面が八角形の重文末社斎場所大元宮、料理飲食の祖神をお祀りする山蔭神社が有名です。
山蔭神社の例祭では生間流の式庖丁が披露されます。
御朱印は社務所にて頂けます。
無料駐車場有。
子供の遊びで行きましたが、まあまあでした。
公園も鉄棒、滑り台、ブランコがあるのでそこそこです。
草むらが多いのでバッタなどの虫取りなどはいいかもです。
官幣二十二社参拝もかなり進みました。
京阪出町柳駅からバスにて京大農学部前で、降車して5分位のロケーションに鎮座されています。
吉田神社は「節分厄除け詣り発祥の社」として知られています。
神社の建つ吉田山は標高100メートル余りで、丘という風情。
神が集まる岡という意味で、「神楽岡」とも呼ばれおり古くから神聖な場所だったそうです。
境内には摂社も沢山あり、其々 お詣りしていると佳い時間が過ぎて行きます。
京都大学の近くにある神社です。
観光向けではなく地元の神社という風情ですが、この付近にある稲荷神社や宗忠神社などは大体この吉田神社関連のもので、規模は大きいです。
吉田の者は一度訪れてみると良いでしょう。
吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都府京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。
二十二社(下八社)の一社。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。
後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。
鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。
室町時代末期には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として境内に末社斎場所大元宮を建立した。
吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(明治5年に宮中に遷座した)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。
江戸時代に入ると社領は590石であったが、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。
例年節分にお参りさせていただいておりますが、今年はコロナの影響もあり寂しい節分になりました。
夜の奥の院の雰囲気はさすがです、霊験あらたかな感じが半端ないです。
少し山の上にあります!京都大学の付近です!山の上から京都の街を拝めます!お菓子の神様もお料理の神様もあります!大変良い神社です!だるまみくじもあります!
お散歩で 平安神宮からの てくてく京都探索で 吉田神社到着でした本殿は、こじんまりしてますが 末社は、広く点在してますよ しっかり回ってしてください。
吉田山の裾に鎮座し、隣接して京都大学があります。
創建は歴史的にも古く平安京の守護神としてこの地に創建されました。
境内の奥に菓祖神社(お菓子)の神様も祀られております。
京都の有名な製菓メーカー料理店が奉納された石柱が多数みうけられます。
訪問時。
吉田神社の最大の催しである。
(節分祭)の準備が境内で行なわれており、毎年数多くの参拝者で賑わいます。
令和3年は二月1日〜3日の予定で行なわれるようですが、コロナの影響でいつも賑わう露店が規制されるのか?心配です。
京都大学近くの吉田山にある神社。
節分祭は出店も出て盛り上がります。
今はコロナで難しいけど、来年は楽しく出来たら良いなあ☺️
吉田神社には5社の神様が祀られていて、仕事柄なんといっても食の神様である山蔭神社⛩には飲食店をやっている方々にはオススメです。
あとは、お菓子の神様も祀られていて、京都の有名な和菓子のお店を営んでいる方にもオススメです。
やはり本家本元は吉田神社の氏神様を参拝をして、全てのご利益や達成感があるのだと思います。
ちなみに駐車場は広々とあるのですが、菓粗神社⛩の更に階段を歩いて登ると公園が見えて来て、その奥にひっそりと数台止められる駐車場もありました。
歩く傾斜はすこしきついのですが、わりと近くにあるのでそちらも早く行けるのでオススメです!
コロナの関係もあって参拝者は少なめですが、紅葉もぼちぼち出だしてきれいな神社です🎵
世にも珍しい茅葺き屋根の神社吉田兼倶は文明年間に森羅万象の起源であり、また宇宙の根元神である虚無太元尊神(そらなきおおもとみことかみ)を祀る吉田神道(唯一神道)を考え、大成すると、室町にあった自邸に虚無太元尊神を祀る社・大元宮を建て、その祭祀を行い始めた。
そして、兼倶はいよいよ吉田神道を目に見える形にして一般に広めようとし、また本格的に伊勢神宮を含む全国の神社を吉田神社の統制下に置こうと考え始めた。
そうです。
Wikipediaより。
二十二社巡りじゃないけど、前から来たかった吉田神社にようやく参拝できました。
近くに幼稚園があってちょっと賑やかしい時間もあったけど、素晴らしい雰囲気でした。
山越えの北参道は、ある程度舗装されていましたが、結構大変です。
Google mapの案内ではそちらに案内されましたが、平坦な道を歩いて行く事に。
平日の昼間に参拝では、他に参拝される方も少なく、静かで落ち着く場所でした。
京都大学に隣接しています。
鳥居から、進んで行く、階段や途中の摂社等が、いいですね。
威厳を感じる雰囲気で、神社の中の神社という感じでした。
御朱印は、5種あり、丁寧に書いていただき、頭が下がりました。
広い境内をゆっくりと参拝するのが、良いと思います。
社格に相応しい神社で摂社や末社が多く鎮座しています。
境内や社殿は綺麗に整備清掃されていました。
大元宮の社殿は特徴的で必見です。
吉田兼見が9代神主を務めた⛩神社です。
兼見は公卿でもあり、「兼見卿記」カネミキョウキと言う日記を書き留めた人物で有名です。
明智光秀研究に必要なものと言われています。
戦国時代から江戸初期までの記録を残しています。
また明智光秀と吉田兼見は大の親友なのでも有名です。
1570年元亀元年は志賀の陣で織田信長と浅井家、朝倉家との睨み合いをしているつかのまの日の話で、兼見卿記には兼見邸にある石風呂に入った記録がのこってます。
石風呂とは今のサウナのようなもので、熱い石にお湯をかけて蒸気を発生させる風呂になります。
この文が光秀が初めて登場するものです。
吉田兼見と明智光秀は文化人で連歌会、お茶で共通の趣味もありました。
1573年坂本城🏯完成の時兼見は訪れています。
兼見は細川藤孝と従兄弟の関係でもあり、細川氏と関係のある光秀を紹介したものと思われます。
光秀は、朝廷とのパイプ役を期待していて、兼見は信長とのパイプ役を期待して、お互いの関係を深くなっていたものと思われます。
1573、4年には、京都代官を務め、その後に1575年丹波攻めをし、1576年石山本願寺攻め、紀州雑賀衆との戦いもいく、また二条御所の普請奉行になっています。
石山本願寺攻めは、天王寺砦て死にそうになるほどの激戦であったそうです。
あまりの激戦で信長軍の寡勢をもらい勝利をしています。
この時期光秀は近畿司令官として、東奔西走していて、疲れからか赤痢ともいわれていますが、遂に病に倒れてます。
その看病の疲れがでたのか妻の煕子はその後なくなっています。
このとき親友である兼見に病気平癒の祈祷を依頼しています。
1582年の本能寺の変後まもなく安土城🏯に吉田は訪れ、誠仁親王の親書をわたし、京都の治安を維持するよういわれていて、信長亡き後の治安維持をみとめられているのも、親友の兼見の取り計らいだったと言います。
出町柳駅から今出川通りを東にはいります。
百万遍にある京都大学のうらてに吉田山があり、麓に吉田神社⛩があります。
別名神楽岡ていわれ、吉田山は105メートルぐらいの小高い丘のようですが、山頂には遊園公園や食事処の古い建物で趣きのある茂庵があります。
また吉田山は滋賀県の高島市から広がる花折断層の終点の地で断層が動き盛り上がってできた山でも有名です。
吉田兼好はこの神社の宮司の子として生まれ、元々占部兼好(うらべかねよし)という名前だったらしい。
出家して吉田兼好と名乗ったようだ。
京大の教養部と本部のあいだの坂をのぼって行くと吉田神社がある。
昔は猪を飼っていて、可愛いうりぼうがいたのだが、今はどうなのか?真夜中に肝試しでロウソクを持って神社まで往復した時の怖さがいまでは懐かしい。
若かったね、
吉田神社の節分ならではの屋台がたくさん出て楽しい。
30分位前に境内に着きましたが人が一杯で追難式はよく見えませんでした。
通路で待って山から鬼等が下りてくるのを見る方が良いかも。
(18/04/07)御朱印(神仏霊場)をいただきました。
御祭神 第1殿 健御賀豆知命(たけみかづちのみこと) 第2殿 伊波比主命(いはいぬしのみこと) 第3殿 天之子八根命(あめのこやねのみこと) 第4殿 比売神(ひめがみ)旧社格:官幣中社京阪鴨東線:出町柳駅より1.4km。
市営バス:京大農学部前バス停より450m。
市営バス:京大正門前バス停より500m。
駐車スペースがあります。
京大の近くにある神社で敷地内に保育園もあり活気のある場所です。
空気が澄んでいて良い“気”をいただける神社だと思います。
特に階段登って行く方が強いですね。
実は関連の場所が半端ないパワーがあります。
でも人々が大勢押しかけると汚れてパワーが落ちてしまうのでそこには行って欲しくない、と思いました(笑)
吉田山にある神社です。
吉田山は、平安京を定めた時、都の東北に位置し鬼門にあたるとして比叡山と共に王城鎮護の山と崇め建てられた。
清和天皇の貞観元年に藤原山陰が藤原氏の氏神である大和の春日神をここに勧請したのを吉田神社のはじまりとします。
この神社の近くには、宗忠神社、真如堂、金戒光明寺が有り、散策には良い地域です。
真如堂、金戒光明寺の庭園の紅葉は、素晴らしい。
京都で一番行きたかった神社です。
本殿はもちろんですが、全ての神様が祀られている大元宮に参拝でき感無量です!素晴らしい神社なんですが、なぜだか人はまばら・・
京都大学からすぐ奥に入ったところにありますが、非常に静かで、厳かな感じです。
親族が結婚式を挙げました。
緑に囲まれ静かで美しい景観。
お菓子の神様が祀られていると聞き訪れてみました。
夕方に訪れたので人もまばらで落ち着いて参拝できました。
藤原山陰さんが奈良の春日大社から分祀して造った神社。
二十二社のひとつ。
一時は、全国の神職の任命権握っていました。
京都大学の隣にあり、神楽山という小山にあります。
京大の繁栄もこの神社があってこそ、でしょうか?節分や厄除けなどばかりではありません。
吉田神道が有名ですが、今の神職さんたちは吉田家とは、関係ないようです。
本宮境内は、春日大社を小さくしたような造り方です。
本宮に向かって右側の山手にある神楽山社は、強いパワーがあります。
末社の大元宮や山陰神社、菓祖神社、竹中稲荷神社等たくさんあります。
末社の御札も本宮の社務所にあります。
御朱印もあります。
名前 |
吉田神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-771-3788 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
行ってきました。
京大キャンパス沿いにいきましょう平日でしたら混雑はありませんパワースポットDEATHね❕階段をのぼると東にも西にも景色がとても良いDEATH❕