京の街中には、このような碑が多々ある。
瑞光院 赤穂義士四十六士遺髪塔跡 / / .
この地はかつて、赤穂藩浅野家の祈願所の瑞光院が1701年浅野内匠頭の切腹後に供養塔が、1703年の浪士達の切腹後は遺髪が埋葬され遺髪塔あった所で、町名も瑞光院前町とされてます。
戦後瑞光院が山科へ移転。
跡地を購入した大日本スクリーンが整地中に、明治政府に破壊された遺髪の入った甕の欠片が見つかり、平成17年に新たな遺髪塔が堀川通り沿いに復元されたもので歴史を感じます。
へえー、ここにあったのか!と驚きました。
今は山科に移されているが、元はこんな場所に大石内蔵助の墓や赤穂浪士達を偲ぶ場所があったのだ、と思うと感慨深い。
この近くには、他にも紫式部や古田織部に因む遺跡があって面白い。
山科に移転したもの。
ここから少し上に上がった所にある「紫式部のお墓」に行く途中に偶然見つけました。
「赤穂浪士(赤穂義士)」と言えば、京都だと主に山科の大石神社や兵庫の赤穂を連想しますが、見つけた時は「何故、ここに赤穂義士関連の碑があるの?」と思いましたが、色々調べると歴史は深くて面白いですね。
元々この場所にあった「瑞光院」は今は山科の安朱堂ノ後町に昭和37年に移転で遺髪塔も祀られるのとの事です。
通り過ぎてしまいそうになりますが見つけてくださいね!京都にはこんな石碑がたくさんあります。
通り過ぎてしまいそうになりますが見つけてくださいね!京都にはこんな石碑がたくさんあります。
京の街中には、このような碑が多々ある。
そんな中でもこちらは企業の敷地の一部に大切にお祀りされている。
これが京の都の魅力です。
名前 |
瑞光院 赤穂義士四十六士遺髪塔跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ka128.html |
評価 |
3.6 |
こんな所にあったのか、と。
(忠臣蔵に思い入れがないと、というか吉良派だと、感想はこんなもん)