小堀遠州の茶室、忘筅が良かったです。
一般公開してませんが、遠州忌と茶会で、流祖の墓参もできました、何時もですが撮影禁止、重要文化財ですので、とても緊張しながら茶会ができましたことに感謝。
ギリギリ滑り込みで孤篷庵を見学。
ちょうど午後だったのが良かったようで室内の見所もしっかり堪能できた。
7年ぶりの開場らしくタイミングも良かったなぁ。
22'6/12(日)迄の特別公開。
大徳寺と言えば茶室と名庭。
茶道に携わる人には特別な場所、何と50の茶室が有るという。
千利休から古田織部、そして織部から手解きを受けた小堀遠州が独自の世界を展開し、現代の茶道の礎を築く。
そんな遠州が作った塔堂が「狐蓬庵」寛永20年(1643)龍光庵から現在の場所へ、遠州64歳の時の事である。
現在の建物はこの遠州を崇拝した出雲の大名の松平不眛(ふまい)が再興したそうだが、茶人で有りながら建築家としての遠州も見ることが出来る。
先ずは門を潜って方丈へ、前の庭から説明が始まります。
生まれ故郷の近江の琵琶湖を思い、石に土、借景の木が大きくなりイメージ創出が難しいが、琵琶湖を知っている人には風景が浮かぶ😊襖絵は狩野深信。
忘筌(ぼうせん)という名茶室、忘筌とは…荘子の言葉をもって説明をしてくれるからね!狐蓬庵の書院(住まい)となる直入軒には親交の有った松花堂招乗の絵と薄暗い茶室に独自の光を取り込んだ茶室の説明。
この発想には一級建築士を越えて特級の建築士と感心するしかない😉さて、最後の茶室「山雲床」。
龍光院の写しと言われる。
妙喜庵の「待庵」有楽苑の「如庵」は何とか見れるが、見ることが不可能と言われる龍光院の国宝「密庵」へへっ、密庵の写しと言えどこれは必見なり!中は写真禁止だから、私はしっかりとまぶたの裏に焼き付けました!
普通に見れるものとばかり思っていたが入れなかった。
リサーチ不足だった。
前の道が良い道だった。
孤篷庵忘筌(こほうあん ぼうせん)(京都府)孤篷庵忘筌(京都市)は、17世紀に小堀遠州によって造立された、縁先にわたした中敷居の上の障子とその下の開口が特徴的な書院風茶室である。
2015年9月の特別公開の時に訪れました。
小堀遠州創建の建物は寛政5年の火災で焼失していますが、遠州が残しておいた図面をもとに松平不昧らが再興した茶室「忘筌」や書院「直入軒」などが重文に指定されています。
受付を済ませると手荷物を全て預けるという徹底した管理下での拝観でしたが、「忘筌」の臨場感は素晴らしく、去りがたい印象を与えてくれました。
数ある大徳寺塔頭の中でも、やはり格別の存在(龍光院はまだ知りませんが)だと思いますので、まめに情報をチェックして機会を逃さないようにされることをお勧めします。
小堀遠州の茶室、忘筅が良かったです。
参拝謝絶で中には入れませんでした。
2014年10月に拝観した際は、1時間以上並んだ記憶あります。
翌年9月に訪れた際は、ほとんど待たずに拝観できました。
写真撮影は出来ません。
昨年は公開されたかどうか? 小堀遠州が自らの菩提所として創建。
火災により消失しましたが、松江藩主松平不昧の協力により再建されたということです。
孤篷庵書院庭園は創建当初、小堀遠州が作庭し、江戸時代半ばに松江藩主であり茶人でもあった松平不昧(ふまい)が再興している。
茶人好みの穏やかな庭であり、茶室「忘筌席」や「露結の手水鉢」も有名。
非公開の塔頭です。
国宝の大井戸茶碗喜左衛門が有名。
そして、小堀遠州によるお庭が見事。
ふつうは、石を敷き詰めて波を表しますが、こちらは、土のうえに波紋を表します。
そして、お庭の垣根の刈り込みや石を奥へ行くにつれて小さくすることで、奥行きが広がる遠近法を用いています。
とにもかくにも非公開なのが残念ですよ。
名前 |
孤篷庵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-491-3698 |
住所 |
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評価 |
4.4 |
7年ぶりの特別公開小堀遠州のセンスを凝縮した茶室、庭などなど見応え最高。