小高い丘にある菅原道真を祀る神社天神。
先日、およそ30年ぶりに天神祭りに出掛けました。
コロナの影響でしばらくは露店もイベントも自粛していたそうですが、今年は盛大に執り行われたようですね。
懐かしい光景が広がり時間が巻き戻ったようでした。
ウン十年ぶりに来ました。
大人になってからお参りするのはたぶん初めて。
じいちゃんばあちゃんが西武の真ん前に住んでたから子供の頃はよく来ました。
お祭りでべっこう飴とかどんぐり飴とか買ってもらいました懐かしい。
雰囲気の良い立派な神社でした。
また来ます。
40年以上ぶりに参拝しました。
その時は子供でしたし雪の降る天神祭の時にきた記憶があります。
改めて参拝に来てみると足腰が弱ってるなと思いました。
境内は静かでお掃除されてるかたもいらっしやってゆっくり参拝できました。
4月の初旬でしたので葉桜になっていました。
大阪高槻市天神町、上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)。
花、竹、杜のてんじんさんとして知られる。
菅原道真公を祀る上宮天満宮は「福岡の太宰府天満宮に次いで、日本で2番目に古い天満宮」と称される。
創建は平安時代の正暦4年(西暦993年)と伝えられる。
後の安土桃山時代、天正10年(1582年)の山崎の戦いの際には、豊臣秀吉公が参道付近の「天神馬場」に本陣を置いた。
JR高槻駅から北に向かうと階段と坂の上にある立派な天神さんです。
お正月は彼と必ずお詣りします。
甘酒をいただいたり焚き火にあたったりお正月気分を満喫できます。
天神祭もとても賑やかで大好きです❤️今はコロナで中止されていますがまたいつか賑やかな天神祭を観られると信じています😊⛩
本来、神社名は「訓読み」をするという原則があります。
その原則から、外れています。
正しくは「うえのみやてんまんぐう」と読むことになります。
高槻市のサイトなどには「じょうぐうてんまんぐう」と読むことになっています。
こちらが正しいといううのならば、「じょうぐうてんまんぐう」は、明治時代以後の呼び名ということになります。
とすれば「野身神社(のみじんじゃ)」だったことになるのですが。
どうなのでしょう?約60年前は、「北山の天神さん」と呼んでいました。
ちなみに、市内下田部には「上宮天満宮」がもう一つあります。
神社によると「昔は、祭りの時には下田部まで、神輿が行っていた」そうですから、あちらは「御旅所」ということでしょう。
・社伝等より由来「大宰府配流(だざいふはいる)ののち非業(ひごう)の死を迎えた道真の怨霊(おんりょう=祟る霊魂)により、禁裏(きんり=天皇の宮殿内のこと)は祟(たた)られ、そこで怨霊を鎮(しず)めるため勅使(ちょくし=天皇の使い)菅原為理(すがはらのためさと)が仕立てられた(任命された)。
道真に最高の位「左大臣正一位」を贈るとともに大宰府から「神霊」を都へと迎えることとした。
ところが、西国街道を上る牛車(ぎっしゃ)がこの地の前で動かなくなるということになり、調べてみると、この地に道真の先祖野見宿祢が祀られていることがわかり、勅使により菅原道真の肖像を祀ったところ再び動き出すことができたとされる。
従って北野天満宮より先に祀ったことになり大宰府に次ぐ二番目の天満宮であると称している。
」※ところで、菅原道真が配流されたとされる「大宰府」は、そんなに「閑職(かんしょく=役に立たない職務)」だったのでしょうか?701年「大宝律令」では、朝廷の職掌(しょくしょう=仕事分担)の中で、「大宰府」は「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれるほど、重要な役所で、大和朝廷の外交を担当するだけではなく九州全体の政治を執り行い、他の地域が都へ税の「租(そ)」を納めるのに対して、九州は「大宰府」に納めることになっていました。
さらに、特別な役職だということで長官(大宰帥=だざいのそち)は「皇族」がつくということになっていました。
皇族は、都を離れないことになっていましたから、次官(大宰権帥=だざいごんのそち)に任命された道真は、重要な役職に就くことになり、罰としての「左遷」や「配流」ではありません。
外交と九州の全権を任された重要人物なのです。
また、菅原道真を貶めたと言われる藤原時平は、親の代から菅原家と交流が深く、時平は道真に、自分の親の建てた寺を朝廷の高いランクにしてもらうための申請文を道真に書いてくれるように依頼しています。
また、時平が総理大臣クラスの「左大臣」の時、道真は官房長官クラスの「右大臣」として補佐をしていたのですから、二人の間に対立は考えられません。
また、別の事由があるのかもしれません。
大宰府のある北部九州は、大陸との交流が盛んなところです。
奈良時代流行した伝染病の「天然痘」は、大宰府を通って都に入って来ていますので、道真は、運悪く、伝染病で死んだのかもしれません。
縁あってこちらに参拝いたしましたがヤモリ、トカゲ、ハト、スズメ、ネコと色んな動物がいますし、花も綺麗でした!写真を撮っていたら、猫が触って〜と横たわってきて、めっちゃ人慣れしてて可愛いかったです!
ここの天神さんは全国で太宰府天満宮に次いで2番目に古いと看板に有る。
天満宮には必ず有る梅、立派な実をつけている。
仕事が出来、出世の早かった道真さん、それを妬んだりよく思わない人がいてね、京から大宰府へ左遷されるんだよね😢ところが、これに関わった人達が次々に亡くなり、たたりじゃと言われる。
917年、それを鎮めるのに作ったのが太宰府天満宮と言われ、それでも治まらず、947年、北野天満宮を作ったそうじゃ。
なぜ梅なのか?それはこの左遷の時、道真さんが自宅の梅の木に向かい、歌を詠んでいる。
現代風に言うと春風が吹いたら、その香りを大宰府まで届けておくれとね✨ふふっ、一晩で届いたって✨なる程、それで飛梅という樹齢千年の梅の木が太宰府に有るのか!やがて、年月が経ち、たたりを鎮めるから、道真さんが優れた学者であった事のほうが伝わり、学問の神様、受験の神様として信仰を集めるようになったんだとさ、私は受験には関係無いが、ボケないように手を合わせたわ✌️
小高い丘にある菅原道真を祀る神社天神。
太宰府天満宮に次いで古い天神さん。
元は、菅原氏の祖先、野見宿禰を祀っていたところです。
石段と少し急な坂を上ると割拝殿があり、その奥に本殿があります。
戦国時代に、信長や秀吉といった武将もここに陣を置いたことがあるそうです。
駐車場もあります。
駐車場は正面鳥居の左手の細い道を登りきった場所にあります。
訪れた日は風があり、竹でできた社殿が、とてもキラキラして美しいかったです。
境内の裏には猫神さまが鎮座されており、いつも一緒にお出かけしているワンコの健康祈願をしていたら「ニャア」と言う声がしたので、センサーでニャンコの声がするのだなと、思いながら、ふと横を見たら本物の猫神様が現れました。
境内には何匹かニャンコがいて、参拝する人をお出迎えしてくれます。
名前 |
上宮天満宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-682-0025 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
JR高槻駅から歩いて10分ほどとアクセスが良いのですが、街中とは思えないほどひっそりと良い雰囲気の神社です。
オススメポイントは・街中でありながら鳥も花も楽しめる・神社猫にも会えるかも(時間帯により)神社がひとつの小さな山のようになっていて、入り口から境内まではかなりの急勾配を登ります。
雨や冬の朝など湿っているときは、転ばないようにご注意ください。
天神さんなので、梅はもちろんですが境内のあちこちに手入れされた植物が点在していて、年中楽しむことができます。
秋には菊花展もやっています。
梅の木は見上げるほど大きいものから、膝下位の小さなものまでサイズも、色もいろいろで見ていて飽きないです。
種類が多いぶん見頃が長く楽しめるのも良いですね。
サイクルラックは無し。
自転車は階段の下あたりに皆さん置いておられるようですがロードバイク乗りの方は、もし不安なようでしたら、近くの駐輪場(駅の方まで行けば)に預けて歩いてくるのが吉です。