令和4年5月拝観しました。
放生院は宇治橋を管理を任された事から「橋寺」と呼ばれる様になったそうです。
通称の「橋寺」は元々宇治橋の管理をこのお寺がされていたことに由来するそうで、境内には日本三古碑のひとつ、宇治橋の由来を記した石碑の断片である「宇治橋断碑」がありました。
間近で見るのは別途志納金が必要です。
噂の美仏さまは是非拝んでおいた方が良い。
通称の橋寺はかつて宇治橋を管理していたことに由来します。
創建は平等院をはるかにさかのぼる大化二年となりますが、何度かの盛衰と火災を経ているため、見ごたえにおいて大きく水をあけられているのは否めません。
所蔵する四件の国重文のうち地蔵菩薩立像と不動明王立像は通常非公開、十三重石塔は飛び地境内となる塔の島(宇治公園)にあります。
境内にあって常時拝観できるのは宇治橋断碑のみとなりますが、これは日本最古の石碑と推測される貴重な文化財です。
断碑の名の通り現存するのは上三分の一ほどで、下三分の二は史書の記述に基づき江戸時代に復元されたものです。
十全の状態で残されていれば同時代の那須国造碑と共に国宝指定もありえただけに何とも惜しまれます。
石碑なんざ何が面白いのかと思う人はスルーが妥当ですが、摩耗してなお美しい書体が見事であり、そこにそそられる方であれば★四つ分の見ごたえはあると思います。
ろくにバスもない那須国造碑(笠石神社)に比べればアクセスも至便であり、石碑初心者の方が手始めに立ち寄るにも便利です。
この日最後に訪れました(^^)階段を登り高台にあるのが放生院さんです!境内の中にあった大きな銀杏の木が目を引きました。
御朱印拝受しました。
宇治神社から宇治橋へ向かう川沿い、橋の近くにたたずむ橋寺呼ばれている放生院。
石段の先にある山門は閉まっておりましたが脇の通用門が開放されていたのでそこから参拝して参りました。
宇治橋の守り寺と呼ばれている橋寺は、推古12年(604)に聖徳太子の発願により秦河勝が建立したと伝えられています。
宇治橋はしばしば放出し、弘安9年(1286)には叡尊によって再興されました。
叡尊は宇治川の中州に十三重石塔を建立するとともに大放生会を営んだことから橋寺は放生院とも呼ばれるようになったそうです。
本堂には重要文化財に指定されている鎌倉中期の地蔵菩薩立像が安置されています。
私はしませんでしたが、拝観(拝観料300円)することができるようです。
境内も本堂はひっそりしていて人影がありません。
呼び鈴を鳴らしてご朱印をお願いしました。
ご朱印は不動尊と地蔵尊の2つを拝受できます。
宇治橋の守りとして、聖徳太子発願、秦河勝建立とされる。
このコンビ、京都市右京区の広隆寺を連想します。
河勝という名前、宇治と嵐山の中洲の類似。
河川改修と水路開削、水田開発のプロフェッショナルともいえる秦氏が渡来しなければ、山城平野に豊かさがもたらされるのはもっと遅かったかも。
あ、いや、鴨氏も大好きです、私。
境内が高台にあり、確かに橋を見守っている感じがする。
推古天皇11年(603年)に秦河勝が宇治橋を架けた折に創建した寺と伝えられている。
しかし、境内にある「宇治橋断碑」(国の重要文化財)によれば、宇治橋は元興寺の僧道登によって大化2年(646年)に架けられたとされる。
(17/10/04)地蔵尊不動尊京の通称寺ぼさつの寺めぐり御朱印をいただきました。
JR奈良線:宇治駅より950m。
京阪宇治線:宇治駅より250m。
有料駐車場が近隣にあります。
名前 |
橋寺放生院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0774-21-2662 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
令和4年5月拝観しました。
三度目の拝観です。
御本尊地蔵菩薩立像の前で説明していただきました。
彩色が良く残っています。
背中側を見る事は出来ませんがと言って、背中側の写真も見せていただきました。
一番最初に訪れた際に(昭和の頃です)素敵なお地蔵様と思ったものです。
それから余り拝観する機会も無く。
一度だけ非公開文化財の特別拝観で訪れました。
その後平成の終わり頃からも拝観して御朱印をいただきたく何度か訪れましたが、やっと拝観することが出来ました。
浮島の十三重石塔はこのお寺の所蔵だそうです。