しかみ像、なぜ岡崎にと思いますが…
何故ここにある必要があるかは定かではないですが、三方原の戦いの敗戦を忘れないようにと徳川家康がされたしかみ姿。
岡崎には直接的には関係ないです。
しかめ面といってもこの像はなかなか愛嬌があってマンガチックな感じです。
武田信玄と徳川家康との三方ヶ原の戦で、家康は命からがらに敗走。
影武者を仕立てて、なんとか浜松城に逃げ込んだとされ、この敗戦を肝に銘ずるためにその姿を描かせ、慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝えられるのが『しかみ像』。
と言われていましたが、、、
三方ヶ原の戦いでの敗戦直後の姿とされています。
家康が自身の慢心を戒めるために自身の姿を描かせ、自戒のために座右に置いたという逸話が家康の人間性をよく表しているとされ失敗を真摯に反省することが次の成功につながると。
この像は「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。
徳川家康は、三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように「しかみ像」を描かせたと云われています。
名前 |
しかみ像 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
三方原の敗戦後に、戒めの為に描かせた絵を銅像にしたものですね。