建暦元年(1211)に赦免されました。
真宗興正派の本山。
親鸞が建暦2年(1212)に京都の山科に一宇を草創したことが起こり。
「正しき法を興し、さかえさす」との願いが込められ「興正寺」と称した。
その後は度重なる移転にも本願寺と歩調を合わせ、天正19年(1591)に現在地へ移ったそうです。
西本願寺に隣接しています。
いつも前を通っているだけで参拝できずでしたが、近くに行ったタイミングで参拝。
広い境内と、立派なお堂は圧倒されます。
特にじっくり見学するところはありませんでしたが、詳しい方からすると、深いお話が聞けるかと思います。
4/1/3 初詣参拝しました!親鸞聖人が配流地から帰京して造った本願寺に隣接する浄土真宗のお寺です。
隣の本願寺があまりにも大き過ぎて小さく見えますが立派な伽藍です。
真宗興正寺派の本山。
七条堀川に境内を持ち、西本願寺の南に隣接して建てられていて、西本願寺の伽藍の一部と見間違えられがち。
阿弥陀如来を本尊とし、親鸞上人を開祖とする。
本願寺と同じ。
西、東の本願寺とサイズこそ少し小さめとなるが十分立派な御影堂と阿弥陀堂がある。
楼門を入ると左右に紅白の梅が特徴的。
本願寺中興の祖・蓮如のもとへ、佛光寺から本願寺に帰依した蓮教上人が興正寺を称して山科で坊舎を創って本願寺に属した。
山科を追われ、本願寺とともに大坂へ移動。
石山本願寺で織田信長との石山合戦にも興正寺の門主と門徒は本願寺教徒の一員となっていた。
その後も京都の堀川の寺領を寄進された本願寺について、明治時代に独立した。
戦国大名の古田織部所縁の寺で普段は非公開ですが、京の冬の特別拝観本堂などが拝めます!こじんまりしていますが、至る所にひょうげた作りが施され、織部さんの意思が引継がれていると感じました。
西本願寺の南側。
七条通リとの間の「興正寺」。
とてもキレイに手入れされていて、いつも頭が下がります。
ありがとうございます。
青空に映える、お寺さん。
御本尊:阿弥陀如来宗派:真宗興正派寺伝によると、浄土真宗の宗祖である親鸞は越後国に配流されましたが、建暦元年(1211)に赦免されました。
翌年の建暦2年(1212)に親鸞は京都に帰り、山城国山科郷に一宇を創建したのが始まりです。
境内は主に本堂である阿弥陀堂と御影堂が鎮座し、現在御影堂は工事中でした。
拝:2021/10/07
ここの紅梅が咲き始めたら、春が近い事を感じます。
賑やかな場所にあるのに、一歩中に入ると静かで落ちつきます。
20年9月18日に訪れた時は「御影堂」は修理中でした。
御朱印はありません。
無料で自由に拝観できました。
「阿弥陀堂」の中も拝観できます。
天井画などカラフルな文様がとても豪勢で、ステキです。
「御影堂」は立ち入り禁止になっていて、内部は拝観できませんでした。
「鐘楼」や「経蔵」、「三門」と「阿弥陀堂門」の門の戸の彫りなど目を引くものがたくさんありました。
御影堂は改築中ですが、立派な雰囲気が伝わってきます。
おにしさまと隣接しています。
西本願寺のすぐ左隣にあります。
一部改修中でした。
境内左奥には木につながれたヤギさんがいました(笑)
西本願寺の隣にあり山門につられて入って見ました。
現在左の御影堂が工事中です。
かつては西本願寺の脇門跡だったらしいです。
名前 |
興正寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-371-0075 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
除夜の鐘の音を求めて探し回って歩いてると鐘の音が‼︎ 門に回るとお坊さんがどうぞ‼︎どうぞ‼︎と無事に鐘を撞く事が出来ました‼︎めっちゃ優しいお坊さんばかりで良い年になりそうです‼︎とても綺麗なお寺でございました‼︎