本能寺は現在の寺町ではなく、元々はこの場所にあった...
此付近本能寺址 石碑 / / .
石碑が三つのみ。
それを探すためは、ぐるりと回る必要があります。
現在の本能寺は、秀吉さんがこの場所から移して河原町通りの京都市役所の近くにあります。
信長の仮宿所だった当時の本能寺のこの場所は、京都御所から目と鼻の先であることを考えると、信長の考えが見えてくる気がします。
本能寺は現在の寺町ではなく、元々はこの場所にあったそうな。
現在は老人介護施設になっており、当時の面影は一切ない。
こんなところが京都には多くて町歩きが楽しい。
戦国の英雄・織田信長最後の地、リアル本能寺跡地。
信長ファンなら言葉は要らない…いつまでも去りがたい場所でしょう。
日本人なら誰でも知っている本能寺の変、信長最期の地である本能寺はここに有りました(再興された本能寺は秀吉の命により寺町に移されました)跡地の中心には養護老人ホームがあり、京都らしく鬼門封じで北東の角を取った辻に石碑が立ってます。
普通の街角、道路沿いの敷地を少し窪めて石碑が立っています。
見つけたときにはラッキーだったと思えるぐらいの小ささです。
歴史的な遺跡が多い京都ではしょうがないのでしょう。
人生で一度、訪問したい場所でした。
今は、石碑だけですがイメージして、わくわくしました。
織田信長ファンは、一度は行きたい!本能寺跡!石碑が3個あります!現在本能寺特別介護老人ホームの敷地を、囲むように石碑が3個ありました!現本能寺から徒歩20分位です!
麒麟が来るに合わせて来訪。
住宅街&高校が建っているのですが、感慨深い場所です。
息子を連れて、久しぶりに本能寺跡に来ました。
評価を見るとあまり人気がないみたいですが、僕が初めてココを訪れた時は、「本能寺の変がここで起こったのか」と、むちゃ感激しました。
それが今の石碑巡りのフィールドワークに繋がっていると思います。
「本能寺の変」当時の本能寺は、現在の京都市中京区元本能寺南町周辺、現在、本能特別養護老人ホームのある辺りにありましたが、その後、本能寺は豊臣秀吉の命で、現在地(中京区下本能寺前町)へと移転させられました。
以前はもう少し広い区画に説明等が有りましたが石碑が1つ有るだけでかなり寂しい感じになってしまいましたね💧💧💧
こちら(西側)にも本能寺跡の石碑があります。
この石碑にはただ「本能寺跡」とだけあり説明はないのですが、左に少し進んで行くと、由来を書いた木の立札があります。
名前 |
此付近本能寺址 石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na054.html |
評価 |
3.9 |
ここが本能寺の変のあった現場です寺町御池の本能寺は焼け落ちた後に移転再建されたものです本能寺の変当時の寺域は広大なもので東は西洞院、西は油小路、南は四条坊門小路(現蛸薬師通)、北は六角通東西南北それぞれ約120メートル四方に広がっていたそうです周囲に掘と土塁を巡らし、その内部には七堂伽藍と30余院もの子院や厩舎を備えた城郭構えの正に織田信長が宿所にするに相応しい都でも指折りの大寺だったそうですこの碑の建つ場所は伽藍の南に向いた山門があった辺りなのかも知れませんひとつ西側の角を南に少し入ったところにも本能寺の址の碑がありそちらの方が立派ですすぐ近くなので併せてご覧下さいそこがかっての本能寺の西南角辺りになると思われます。