名前 |
善城八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
■善城八幡神社社格:延喜式外社・村社祭神:応神天皇・後醍醐天皇・後村上天皇★仁徳天皇年間(313~399年)、善城山頂、宮ノ辻に氏神(応神天皇)奉斎。
善城神社と称する。
(下市町史では仁徳421年と著す)貞観4年(862年)、同所に善城八幡神社として創祀(創建?)。
延元初頭(南朝1337年)、後醍醐帝、吉野山に皇居を構えられた頃、善城土豪、善城与市郎成喜これに朝仕。
よって綸旨、刀剣並びに公文姓を賜る。
後村上帝の時、成喜の嫡子成喬、賀名生の皇居に勤仕したが、明徳3年(1392年)、南北両朝一つに帰し、後亀山帝、都に還幸。
南朝累代の朝恩に報いるため、応永年間(1394年~1428年)、更に祠を築き、両帝を奉祀、善城村の氏神とする。
文明8年9月1日(1476年)、善城山頂から現在の位置に遷座。
永正年間(1504~1521年)、社坊(宮寺)喜福寺があったとされるがいつごろ消失したか等、詳細不明。
文禄4年8月7日(1595年)、いわゆる太閤検地の際、除地となる。
天保15年9月24日(1844)、鳥居および瑞籬破損により建替え。
鳥居は高さ8尺(2m42cm)であったが現存しない。
嘉永4年5月11日(1851年)、本殿、御供所、拝殿等大破。
覆屋、瑞籬を含め建替え。
明治9年5月(1876年)、彩色。
明治22年8月13日(1889年)、後醍醐帝および後村上帝の御神霊を御木像に移し奉り奉祀。
︙令和3年10月(2021年)、境内稲荷社鳥居建替え。
★現境内336坪。
当屋、宮年寄、宮座六人衆が現存し、当社の経営や祭祀を執り行う。
例祭:10月15日-------------------■境内社:稲荷神社社格:末社祭神:豊受大神・宇賀神★もとは字、経ノ段に鎮座されていたが、享保年間(1716~1719年の内)に大破。
同享保4年9月(1719年)、修理完成。
明治8年(1875年)、氏神境内に遷座。