江戸時代に建てられたという石造りの鳥居。
鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)つるがおかはちまんぐうおおとりい(いちのとりい)建造物 宗教建築 / 江戸 / 関東神奈川県江戸中期/1668石造明神鳥居柱に寛文八年戊申八月十五日の刻銘がある1基神奈川県鎌倉市雪ノ下重文指定年月日:19040829国宝指定年月日:鶴岡八幡宮重要文化財(文化遺産オンラインより)
この、鶴岡八幡宮“一ノ鳥居”の存在を知らないまま帰ってしまう人が多い。
是非とも、鎌倉駅近くの朱鳥居(二ノ鳥居)から更に海の方へ一直線!足を延ばしてみて欲しい。
6.鶴岡八幡宮参道:鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれる。
由比ヶ浜から八幡宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、京の朱雀大路を模して源頼朝が自らも加わり築いた。
鳥居と段葛(だんかずら)若宮大路には、3つの大鳥居があり、一ノ鳥居付近から三の鳥居まで段葛が続いていたそうです。
現在は、二の鳥居から段葛と呼ばれる車道より一段高い歩道がある。
この段葛は、二の鳥居の辺りでは幅4メートルほどだが、三の鳥居では幅が約3メートル程度となっており、先に進むほど徐々に細くなっている。
人間の目の錯覚を利用し、参道を実際より長く見せるようになっている。
そこを抜けると三の鳥居があり、境内へと到る。
3つの大鳥居は、地震や火災により幾度も建て替えられた。
現在の一ノ鳥居は、約350年前の1668年(寛文8年)、江戸幕府第4代将軍、徳川家綱によりそれまでの木造ではなく、備前国犬島産の御影石(花崗岩の石材名)によって造られました(明神鳥居の典型といわれ、高さ8.5m、柱の太さは92センチです) 。
関東大震災(1923年(大正12年)9月1日)により3つの鳥居は倒壊しましたが、1936年(昭和11年)に一ノ鳥居は、江戸時代の元の材料を最大限に活用し、補足材料は徳川家綱と同じく備前犬島に求めるなど当初の美観を損なわないように再興されました。
一ノ鳥居は浜の大鳥居とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
・源頼朝によって造られた一ノ鳥居は、現在の一ノ鳥居よりも鶴岡八幡宮寄りにあったと考えられます。
(由比ヶ浜歩道橋のこの下に「浜の大鳥居跡」があります)
鳥居の前で写真を撮りました。
メインストリートの真ん中での存在感は圧巻です。
境の駅前もステキですがより生活にワクワクする街にできたらと思います。
江戸時代に建てられたという石造りの鳥居。
海岸から八幡宮に向かう道路の真ん中に建っていて、鎌倉時代はこのあたりまで浜辺だったらしい。
関東大震災によって、この鳥居も倒壊したというが、同じ石材で再建されたもの。
鎌倉時代の一の鳥居は、もう少し北寄りで、近くの歩道橋あたりで柱跡が発掘されている。
鎌倉時代の段葛は、そこから始まる長い参道だったらしい。
それが、横須賀線開通で段葛は撤去、若宮大路も掘り下げられて一の鳥居だけが残された。
この工事で、若宮大路は線路の下を通る事となり、大雨が降ると冠水するようになってしまった。
参道は「神の通る道」として作られたとの説もあり、参道の延長上には噴火年代不詳だが東伊豆海底火山群がある(私説)。
当初は軍事用として敷設されたとはいえ、横須賀線は「神の通る道」の上を走る事になった。
鎌倉駅から由比ヶ浜海岸に向かう際、道中に鎮座する大きい鳥居です。
道路の真ん中にあるので普通は鳥居の下をくぐらないのですが、車道を横断すれば近くにいけますよ。
名前 |
一の鳥居 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-22-0315 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
鶴岡八幡宮へ続く鳥居です。
鶴岡八幡宮本堂へは約1.6kmです。