呼び方は「まいどの」古くは「ぶでん」だと思っており...
本殿などとともに重要文化財に指定されている舞殿。
一度だけここで結婚式を執り行っているご夫婦を見かけたことがある。
朱色と花嫁の白無垢がとても目に鮮やかだった。
はとバスで訪れた。
ゴミが一切落ちていなく、観光客も楽しそうでした。
いろんな(神社で行う)アトラクションがあり、楽しかったです。
行ったとき、結婚式が行われていました。
鶴岡八幡宮の舞殿は、八幡宮へ登る石階段の手前に建てられた唐破風の入母屋造りの舞殿です。
1191年の鎌倉大火の際に若宮の社殿、廻廊等が焼失したことから、その後、若宮の上に鶴岡八幡宮(本社、上社)、若宮(下社)とともに下拝殿と呼ばれる入母屋造りの舞殿が新造されました。
「吾妻鏡」に書かれている1186年に源義経の妻であった静御前が、源頼朝に命じられて義経を慕う歌を読みながら舞を舞い頼朝を激怒させた場所にはまだ舞殿は建てられていなかったことから、私も舞殿で舞ったと思っていましたが、実際は廻廊の場所で舞ったとのことでした。
その後何度も焼失する度に再建されていますが、1315年に焼失し翌年に再建された「若宮」は、徳川秀忠が新たな「若宮」を建てるときに、荏柄天神社の本殿として移築されたため、現存する鎌倉様式の唯一の建築物として重要文化財に指定されています。
現在、舞殿では、薪能や結婚式、各種イベントにも使われており、大安日には古式豊かな神前結婚式を舞伝の周りから間近に観ることができます。
若宮では御朱印が戴けますが、現在はコロナのため記帳はせずに手札のみ500円となっていました。
豪華な創りになっています。
この舞殿では源頼朝に捉えられた静御前が舞を舞った場所と言われています。
現在も鶴岡八幡宮で行われる結婚式では使用されています。
きらびやかな 建造物前方の建物は21世紀になってから作られたもの当初は 朱塗りではなく 白木造り若宮回廊跡に建ち祭事や 結婚式を行う。
すごくかっこよかったです。
ダンスホール(原文)舞殿。
週末に行くと幸せそうな和装結婚式に出会し、幸せのおこぼれをもらえます。
鶴岡八幡宮の舞殿では、毎年春の鎌倉まつりの中で「静の舞」が再現されています。
「静の舞」は文治2年(1186年)、頼朝の命で鎌倉に召し出された源義経の愛妾静御前が、吉野山で別れてきた愛する義経を偲んで舞ったと伝わる舞です。
舞殿は、本宮がある石段の下にあるので、下拝殿(しもはいでん)とも呼ばれています。
舞殿がある場所には、かつて、若宮の大きな廻廊がありましたが、1191年(建久二年)3月の鎌倉大火によって消失してしまいました。
舞殿は、2月の節分祭、5月の菖蒲祭、7月の七夕祭など、鶴岡八幡宮で行われる多くの行事で、祈祷が行われたり、舞や雅楽が奉納・奉奏されたりする場所です。
中でも有名なのが、4月の第2日曜日に開催されるかまくら祭の際に披露される、「静の舞」です。
静は源義経の愛妾で(あいしょう)京都へ向かう道中に捕らえられ、鎌倉に送られた静は、1186年4月、源頼朝・北条政子夫妻の求めに応えて、鶴岡八幡宮で舞を披露することになりました。
舞台は若宮の廻廊で、現在舞殿が建っている場所だったと言われています。
静はそこで、「義経恋しい」と見事な舞を舞ったそうです。
頼朝はもちろん怒りましたが、妻の政子は静の思いを理解し、静をかばったといいます。
この時の静を偲び、かまくら祭の際に鶴岡八幡宮の舞殿で披露されるのが「静の舞」です。
ここにもいわゆる「お賽銭箱」があります。
階段を登っての参拝が難しいかたは、ここでお参りしてもよいのかなと思います。
※ただし段差があります。
いろいろと意見が有るようですが、呼び方は「まいどの」古くは「ぶでん」だと思っております。
地方や寺社によっては「まいでん」となりますが、こちらの方が一般的なのかも知れません。
現在の舞殿は創建時に下拝殿回廊のあった場所で、大火により焼失した後に建てられました。
現在は様々な式典や奉納、儀式で使用され、近年新たに付随の建物も(正面に伸びた部分)増築しています。
結婚式などもここで行なわれる為、タイミングが合えば白無垢姿の花嫁さんを見られるかも。
毎年、四月に催される「鎌倉まつり」では静御前による「静の舞」が奉納されます。
一番舞殿らしい利用ですが、実際に静御前が舞ったとされるのは焼失前の回廊です。
名前 |
舞殿 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-22-0315 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
本殿へと続く階段の 手前にあります。
タイミングが合えば 結婚式や巫女さんの舞などが見られることも。