幼少期よりお世話になっている神社です。
国指定重要文化財の社殿。
駐車場は、高野西街道の神社正面階段の西50メートルから坂を上って行くと釣り鐘の奥に入口があり5台ほど止めることができそうです。
トイレもあります。
野上八幡宮内の平野今木神社(重要文化財)がとても美味しいと思います。
年始の初詣にお詣りしました。
新型コロナもあった中、3年ぶりに子供達帰省し一緒にお詣りに。
大勢の参拝者で賑わっていました。
坂道を上がり切った所に5~6台程度停められる駐車場が有る。
本殿と同じ高度なので、バリアフリー。
石段を長々と上がれない高齢者にも優しい。
元々は、旧野上電鉄の駅辺りから、階段を上って参拝するのが正統な参拝方式。
坂道途中に駐車して半分だけ階段を上る参拝者も見受けられる。
海南の旧野上地区、現在は紀美野町にある八幡宮です。
階段が神社の厳かさを引き立てます。
車で階段上まで行けますが、是非とも階段を上ってみてください。
拝殿裏手の朱塗りの建物や裏手に建ち並ぶ社も素敵です。
私が訪れたのは雨の5月。
お話し下された宮司さんによれば、雨に濡れた緑の葉がしなだれている様が良い雰囲気ですね。
との事でした。
地神の神社です。
たまに訪れると雰囲気あります。
京都の石清水八幡宮の別宮本殿の裏手には摂社末社が並んでいるのですが奥にある本殿と見紛う建物は平野今木神社(若宮さん)
和歌山県紀美野町で国の重要文化財の本堂があります。
地域では有名な神社です。
本堂以外にえびす神社もあります。
私の先祖の出生地は、和歌山県海南市の野上にまでは辿ることができます。
先祖は代々、野上半十郎を襲名していたほどですから、出生のこの地には愛着があったのでしょう。
私も六十半ばを過ぎましたので、これを期に先祖の足跡を辿ってみることにしました。
海南市の近辺の漁師町の民宿に宿をとり、海南市から小一時間ほどの野上八幡前でバスを降り近辺を散策しましたが、先祖が和歌山県かつらぎ町に移って来たのも安土桃山時代以前と推測できるのですが、野上の何処から来たのかは、わかりません。
しかしこの地に住んでいたなら、地元の野上八幡宮には詣でたに違いないと考え私も参拝することとしました。
現在でも山間に位置する野上ですから、数百年前は山深い地であったのでしょう。
野上八幡宮の歴史については、Wikipediaを参照願うとして、特筆すべきは、神功皇后を補佐した歴史上最も謎の多い(武内宿禰)が神功皇后と共に立派に祀られていることです。
武内宿禰の出生が和歌山とはいえ、神功皇后の夫である仲哀天皇より立派に祀られていることにある種の違和感を感じ、応神天皇は神功皇后と武内宿禰との子ではないか?との説を思い起こしました。
翌日は、日前神宮、竈山神社、伊太祁󠄀曽神社に参詣する「三社参り」です。
三社の中でも印象に残るのは、初代神武天皇の長兄にあたる彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を祀る竈山神社。
本殿の裏には、大和平定の途中で戦傷した彦五瀬命の陵墓があります。
伝説では負傷して雄の水門(おのみなと)に上陸して亡くなり、この地に葬られたとされており、日本国の歴史が肌身に感じられます。
秀吉にやられていますね。
静かな場所にひっそりした佇まい。
静かで景色もよかったです。
幹線道路から一本入った通りにあり静かにお詣りできます。
駐車場も有ります。
観光地ではありませんが、歴史があり見どころ満載、雰囲気の素敵なお宮さんです。
ご祭神:品田和氣命配神:息長帶姫命,玉依姫命末社十六社 :若宮八幡宮,武内明神社,熊野社,稲荷社,天満官,住吉社,春日社,大神宮,愛宕社,蔵王社 ,賀社 ,八王子社,宝殿宮,弁財天社,高良明神社 ,楠木社。
建築物はいいですけど 出店がさみしい😢
幼少期よりお世話になっている神社です。
大変由緒ある八幡宮で、重要な文化財が多数あります。
神主の方のご祈祷力は確かです。
最近新しいバイパス道が出来たのでアクセスが良くなりました。
話しやすい雰囲気の宮司さんがいます。
無料の駐車場があります。
辺鄙な所にあります。
神功皇后三韓征伐の帰途、ここにも足跡あり。
神功皇后が三韓より御帰還なさる途中三年間の頓宮(仮の宮)の跡と いわれる。
欽明天皇の時代に、応神天皇の霊を勧請し、この地に八幡宮を創建。
ついで永延元年(987)に山城国石清水八幡宮の別宮となり、放生会その他神事一切石清水八幡宮に準じて行うべしとされた。
天文10年(1541)の根来衆徒の来襲によって社殿、財宝、文書などが焼失した。
元亀元年(1570)に本殿・宝蔵・若宮殿・護摩堂が再建されたが、天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州征伐後社領を没収された。
その後、浅野長政や徳川頼宣により保護された。
名前 |
野上八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
073-489-2162 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
野上八幡宮640-1141和歌山県海草郡紀美野町小畑625祭神:品田和気命、息長帯姫命、玉依姫尊神紋:三つ巴神功皇后が内乱の難を避け和歌山県の名草に滞在して内乱平定後、一行が奈良の都へ帰る途中で仮宮を造った為、その跡(八幡宮)が紀美野町から、紀の川市桃山町友淵と紀ノ川南の山中(県道4号沿い)に続き、(以下推測)かつらぎ町周辺(丹生都比売神社・八幡神社//丹生酒殿神社・鎌八幡宮//蓬莱山神社)から紀の川(吉野川)を遡り五条市、大淀町を経て吉野町から奈良県道15号沿いで明日香村へと帰還して行ったのだろう。