岐阜城のふもと、普段住んでいた場所です。
ドラマや映画でもよく出てくる岐阜城の麓にある信長の居館跡調査発掘した結果の案内がされており虎口等がよく整備されている建物は残されていないが旧状を想像できた。
居館跡とは耳慣れない言葉ですが、住まいに使った大邸宅の意味。
信長公が住み、ルイス・フロイスら南蛮人も含め要人の接待用につかった大邸宅。
ルイス・フロイスの言う「信長パレス」ここには山からお堀へ流れる水を高さのある渡り廊下から楽しむなど、驚きの趣向を凝らした邸宅であったようた。
コンピュータグラフィックスを駆使した映像は岐阜城で見ることができる。
発掘、調査中ということでシートが張り巡らされている。
まさに発掘調査中の状態。
CGの復元図の様にリメイク出来たなら本当に素晴しいだろうなと思います。
天下布武とは言えども、一国の大名が500年以上前の貨幣価値も異なりますが、これだけの規模の物を所有出来た事にも驚きです。
映画の関係もあって信長公を含む岐阜県のこの界隈も一気に人が増えるでしょうね。
広くて自然と調和した御屋敷だったんだな!と空想できる。
崖下に住むのってちょっと躊躇と思ってしまうけれど。
橋の向こうの三重の塔を眺める暮らしは素敵だろうな!と空想。
2022年8月中旬に初めて行きました。
岐阜城は知っておりましたが、こちらの存在は当日知り、ロープウェイから降りた後、散策しました。
岐阜城やロープウェイは混雑しておりましたが、こちらは誰もおらずまったり散策巨石を使った通路、石垣、土塁上の遺構、礎石などが発掘調査で発見され復元されています。
所々に説明板があり、建物自体の復元はされていないものの、歴史のロマンを感じることができました。
特に入場料などはいりませんでした。
正面の門?から入り手前から順番に見ていきました。
この場所にこんなものが建っていたんだなぁとなかなか感慨深くまわりました。
1番奥の赤い橋のところまで行き、橋の下の川までおりてみたりもしましたが、藪蚊がいて刺されると大変なので下りない方が良いかと思います。
こちらの存在は知らなかったのですが、岐阜城からの帰りのロープウェイから見えて、気になったので寄ってみた次第です。
岐阜城に立ち寄る予定の方は、時間に余裕があれば是非回ってみてくださいね。
発掘調査のお陰で巨岩石、庭園遺構、水路と池跡が明確、金箔痕の瓦も❗️実際は斎藤3代の頃に下地が造られて(発掘調査で庭園地下に斎藤期の石垣発見)、信長が派手に大規模に改修、信長期の「建造物復元CG」は画期的ですね、当時としては珍しい高層の建物に渡り廊下、岩盤を滝が流れ落ちてって、凄い発想、見た目の威厳と驚き、信長らしい😲当時、ここを帰蝶(濃姫)・羽柴秀吉・柴田勝家・明智光秀もブラブラしてたんですかね、足利義昭も来たんですね😁
ここに信長がいた。
ここで信長が暮らしていた。
その事実が目の前で明らかにされつつあることに感動を覚える僕がいる。
すごい財産を岐阜県は持っている。
そのことを県民はもとより年中無休でボーっとして生きているか死んでいるか分からんような知事と市長はご存じなのだろうか。
(2022_02_26)
バイク二人旅。
まだまだ発掘中~!です。
全容が明らかになった後は、復元して欲しいモノです♪38みねちゃん。
岐阜城には十数年振りに来ました。
ニュースで織田信長の居城の発掘を行なっていることを知り、訪れました。
また発掘調査の途中ということもありますが、全貌が何となく分かって良かったです。
居城から天守が見えましたよ。
初めて来た時は、発掘が始まって以来、整備されていたのが冠木門から小口(虎口)にかけての石垣くらいまででした。
それだけでも十分な見応えがあり、感動ものでした!当時、居館が建っていたであろう場所は、まだ発掘調査段階で、立入禁止になっていて調査員らしき人が数名いて調査を進めていました。
今回、岐阜金華山を下から登る目的と合わせて、発掘の進んだ居館跡を見るために寄りました。
約450年前、ここに織田信長が滝のある庭園付きの館を建て、そして住んでいたと想像すると、何か感慨深い気持ちとロマンを感じさせてくれました。
戦国史好き、特に織田信長好きには、岐阜城に行くだけでは勿体無いオススメの場所です!
🏣岐阜県岐阜市千畳敷下257🚏🚌岐阜公園歴史博物館前下車🅿️🚗有ります※発掘調査によると金華山の山麓に有った織田信長公などの城主居館跡、西麓になります。
元の地形は斉藤氏三代の頃造られ、織田信長公が大規模に改修した事が解ってきたそうです。
1567年織田信長公が稲葉山城を占領し、本拠地を小牧山から移しそれまでの「井口」を「岐阜」と改めてる。
ポルトガルの宣教師ルイス.フロイスの訪問記録も残されている、又貴重な庭園が見つかるなど岐阜城跡、山麓の城主居館跡や自然地形を含めた金華山一帯が国の史跡に指定されている。
今も発掘調査は続けられ、結果報告もされています…楽しみです。
斉藤氏の居住地跡の石垣や木門、石段が見られました。
(一の門は斉藤道三公により築かれた事が判明)
織田信長公居館跡(国指定史跡)岐阜公園内にあると説明するとわかりやすいですが、ここは国指定史跡岐阜城跡の一部になります。
令和2年時点で発掘調査は一旦終了しており現在はシートで覆われている部分があるものの散策ができます。
巨石を使った虎口や段々に整備された曲輪があることがわかり。
永禄10年(1567年)にここに城を作った織田信長の権力の象徴としての城作りを知ることができます。
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発掘調査が進みかなり整備されてきました。
ちょっとした高低差のある調査区画を歩いて見て回れます。
ここからも山の上の岐阜城天主が見えますが、信長公らもこうして自らのものとなった城を眺めたのでしょうか。
先に岐阜城にてCGで再現されたイメージ映像を見てからこちらを見ると、このあたりが映像に出てきたあの辺かな、と想像しやすいかもしれません。
昔、滝があったという辺りは正時になると水が流れると観光案内所で教えていただき、ぜひ見てみたかったのですがタイミングが合わず。
次は時間を狙って見たいです。
岐阜公園総合案内所から発掘案内所に寄って岐阜公園🎄を南に進むと織田信長公居館跡入口冠木門があります。
千畳敷跡を通ると平成の滝があり、三重塔が間近に見えます。
信長公居館は巨大な庭園と思われます🎵
織田信長の館の跡です。
館ではありますが石垣を多用していたようですね。
またわずかですが、斉藤氏時代の遺構も見つかっています。
信長公居館発掘調査案内所で居館の推定復元イメージ模型を見ることができます。
案内の方の話では、あくまでイメージだそうですが、もしかしたらこの先更に発掘が進めば、イメージ像を改めるような新たな発見があるかもしれませんね。
楽しみです。
金華山ロープウェイ山麓駅と加藤栄三・東一記念美術館との間を山側に進むと発掘調査をしている場所が右手方向に見えます。
織田信長の居館跡だそうです。
岐阜城内の展示で、コンピュータグラフィックでの復元図が上映されています。
このCGは発掘調査の成果だということでした。
山麓駅から歴史博物館の方向に進むと、池を過ぎると門が復元されていて「織田信長居館跡」の標識がありました。
広い敷地、当時は素敵な建物があったんでしょうね。
織田信長公が暮らしていた館の後です。
ここに立つと信長公が当時どんな暮らしをしていたか目に浮かぶ様な気がします。
信長のかつての居宅後。
復元したら凄い。
2020の正月二日に寄ったらシートでかぶされてる部分がけっこうあった。
発掘中あるある(^o^ゞ石がゴロゴロころがっててどんな館か想像するのが至福(’-’*)♪発掘案内所がお正月休み..o(T□T)o暗くなっても人がけっこういる..さすが天下の岐阜城( ̄ー ̄ゞ-☆
岐阜公園にあり現在発掘中の、織田信長公が館を構えた地とされるところ。
永禄12年(1569年)、岐阜を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、その記録の中で信長公の館を「宮殿」と称し、華麗な内部の様子を紹介しています。
信長のグッズが沢山有り、良かったですよ。
名前 |
織田信長居館跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
058-214-2365 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
岐阜城のふもと、普段住んでいた場所です。
まだまだ発掘調査中のようですが、立派な屋敷があったんだろうなぁ、と思わせます。
ぶっちゃけ個人的には、天守よりこちらのほうが良いです。
あとかなりデカいヘビがいました。