掃部山公園へ向かう途中に通りました。
私が調べた限りでは、いま大きなマンションと隣接するもくせい公園のあたりがかつての戸部監獄で、処刑場は道を隔てた小さな公園の片隅あたりだったと思われます。
今でも花を供え水をかえている方がいます。
とても立派なマンションですが、住んでいる人はほとんど知らないんでしょうね。
掃部山公園へ向かう途中に通りました。
思ったよりも急な坂ではなくて良かったです。
その昔はまっくらやみの坂だったのでしょうか。
このくらやみ坂を通って、戸部村と保土ヶ谷宿の往来に使われた生活道路、保土ヶ谷道と言われた道です。
江戸時代に関所と刑場があったと聞く、有名なスポット。
名前の由来は諸説あり。
江戸時代当時は木々が生い茂り、昼でも暗い(刑場もあるので、雰囲気も暗い)ので「暗闇坂」。
もう一つは、鎌倉時代に源頼朝公がここを通りかかり(上記の木々もまだ背が高くなかったので)今の横浜港が一望できた為、この坂の上で臨時に休憩したところから「鞍休み坂」。
源頼朝公が、今の戸部辺りに視察に来たのは、文献に残っているようなので、ありえなくはなさそう。
外国人が撮影した写真も残る処刑場があった所。
今の処刑場跡の祠がある所より実際の跡地はもっと坂の上の方だったという古い証言が多い。
登るの大変でした。
横いい景色。
旧保土ヶ谷道。
くらやみ坂は、旧保土ヶ谷道の横浜市西区西戸部3丁目と伊勢町3丁目の間から伊勢町1丁目へ至る坂道です。
その昔、くらやみ坂の一帯には颯爽とした木々が生い茂り、その周辺には処刑場があったそうで、途中にそれらしき場所を柵で立ち入れないようにしていたり、祠があったりします。
「くらやみ坂」という名の由来に関しては諸説あるそうですが、かつて、この坂の上から見る富士山の景色が、とても大変美しかったため、旅人が必ず馬を止めたところから「鞍止み坂」と呼ばれるようになったという説。
あるいは昔、付近一帯には鬱蒼とした木々が生い茂って昼でも夜のように暗かったので「暗闇坂」の名が付いたとも言われています。
私は個人的に「鞍止み坂」の由来の方が好きかもしれません。
今現在のくらやみ坂は、整備され街灯もあり、すっかり生活道路ですけれども、祠と見えにくい柵の先が昔を伝えているのだと思うと輝いて見えました。
処刑場跡。
明治の初めまで使われていたようだ。
冤罪も多かったと聞く。
毎日、お供えの水を換えてくれる人がいるようだ。
合掌。
仕置き場供養の祠は鉄策で隠してあるのが特徴的です。
女房の実家が坂上にあります❗️昔は、景色 も良かったが今はマンションが建つて、景色は良くない❗️坂が急で、登るのが辛いようです。
島田荘司の推理小説「暗闇坂の人喰いの木」の舞台で、私の生まれた家から歩いて5分なので思い入れがありますが、今は普通の路地です。
宅地化が進んで暗闇のイメージとは程遠い。
名前 |
くらやみ坂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
学校横の明るい、緩やかな坂道です名前の謂れは不明です!