桜の季節にはライトアップされて綺麗です。
新宮城は丹鶴城とも呼ばれていて、丹鶴姫が住んでいたかららしい。
丹鶴姫は、保元の乱(1156年)で処刑された源為義(源義家の孫で河内源氏の棟梁)と熊野別当の娘の間に生まれた女傑。
丹鶴姫は、元の名を「立田腹の女房」と呼ばれ、立田腹の田鶴原(たずはら)になり、田鶴原が丹鶴になって丹鶴姫となったらしい。
彼女は熊野別当(熊野の政治権力者)の湛増の母だから、伝説的に湛増の息子と言われる武蔵坊弁慶のお婆さんに当たります。
新宮市一体を俯瞰できる高台で石垣もしっかり残っています。
ちょうど三重県との県境で、熊野川を渡る列車も運が良ければ見られると思います。
電車の待ち時間で散策しようと最初の目的地に行くものの朝早すぎて入れず、改めて調べると近くに城があるとのこと。
全く知らなかったことを悔いつつ向かいました。
調べてみると別名である丹鶴(たんかく)城とは保元の乱にて息子義朝に処刑された源為義の娘である丹鶴姫の住まいがあったことに由来し、彼女の同母弟がのちに以仁王の平家追討の令旨を源頼朝らに届けることとなる新宮十郎こと源行家です。
新宮市街地の眺めはもちろんですが、城の直下をトンネルで貫き熊野川を渡る紀勢本線の鉄橋の景色が素晴らしいです。
雑草、雑木が生茂り、せっかくのかっこいい石垣が隠れてしまっています。
松乃丸からは、本丸跡と熊野川、紀勢本線の鉄橋が見渡せる、城好き、鉄道好き、両方満足出来る素晴らしいロケーションでした。
熊野川河口の小高い丹鶴山に築かれた城の跡。
紀州藩新宮領の拠点。
新宮市内や熊野川河口を一望できます。
元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。
明治時代の廃城令により、建物は全て取り壊されていますが、石垣は残っています。
本丸跡が丹鶴城公園として整備されています。
続日本100名城No.167熊野川を望む丘陵に築かれた総石垣の城です。
和歌山城主浅野幸長は慶長五年(1600).家老浅野忠吉に新宮を分知し、翌年から築城を開始。
その後一国一城令で廃城となりますが、元和四年(1618)に築城許可がおり、再び築城に着手しました。
翌年、主家の安芸広島転封に伴い忠吉も三原へ移りますが、代わって入封した水野重央が工場を引き継ぎ、寛永十年(1633)に三代重良が完成させました。
熊野川河口近くの丘陵上に築かれた総石垣造の平山城で、最高所の本丸からは城下町を越えて太平洋まで一望できます。
また、熊野川沿いでは蔵と舟入を備えた水の手曲輪が公開されています。
お城の下には紀勢本線が走っています。
和歌山を代表する素晴らしい城跡です✨
トイレを使いたくて立ち寄ったのですが、想像以上に景観が良く天然の掘りになる熊野川からせり上がるように築かれた石垣はなかなか立派で、かつての姿が偲ばれます。
駐車場は8台くらい駐車できる。
スペースがやや狭い。
天守台まで登るには10分もかからない。
見晴らしがよかった。
綺麗に掃除と整備が行き届いてます。
景色も良いのでいいかと思いますが、これと言って観るものがないですね…。
新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった日本の城である。
別名は丹鶴城(たんかくじょう)。
また、沖見城(おきみじょう)とも称された。
城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されている。
現状は、民有地時代のケーブルカー跡なども残るが、本丸のほか主な城域が公有地化されて丹鶴城公園となっており、「和歌山県朝日夕陽百選」にも選定されている。
地下には紀勢本線のトンネルが通されている。
また、東側の一部は天理教南海大教会の敷地の一部になっている。
現在、新宮市では天守の再建も視野に入れた整備計画が進行中である。
夕暮れに染まる城壁を本丸まで上ると、眼下に雄大な熊野川が広がりました。
昔のお殿様はこの景色を眺めながら一杯やってたんですかね。
保育園横の入り口から上るルートをお勧めします。
このルートでは色々な角度から城郭を眺めることができます。
広々とした城跡でした。
無料駐車場もあります。
城跡から眺める熊野川が美しいです😚
お城はないですが、いざ登ってみれば新宮市内と熊野川と紀宝町の眺望がすごいっ。
絶景でした!
別名、丹鶴城、新宮市へ来たら必ず訪れたい場所。
駐車場は小さいですが、近くに大型スーパーもあるので停めさせてもらえる。
完全再現を狙ってるようで、現在(2020年7月14日)古写真とかの募集をしており、懸賞金までかけられてます。
規模は大きくはないですが、散歩するにもちょうどいいです。
和歌山城からはさすがに遠かった💦だけど来る価値のある良いお城🏯もう少し草刈りを頑張ってほしいな~また来ま~す❗
慶長6年(1601)浅野忠吉サンが築城始めたんだそうな(◎-◎;)車は体育館の臨時駐車場も止めれた。
舟着場跡の石垣が整備されてて見応えある♪そこから登ろうとすると通行止だったりf(^^; (19.12月)ぐるっと歩いてまわると石垣が住宅に入り込んでる♪(^-^ゞ公園になってる城跡は改変されてて当時とはかなり違うかも..石垣や桝形は十分堪能できる( ☆∀☆)主郭は眺め良いトコ♪20年前来た時は主郭北側の曲輪まで行けたんだけどなぁ~( ´△`)今も整備が続いてるみたいだよん。
城址は公園化が進み、本来の石垣の上に安全のためにブロックを積んでしまっている。
本来の石垣が良く残る出丸には柵があり侵入を拒んでいる。
松ノ丸から水ノ手に通じる通路は崖崩れにより立入禁止となっているが、河原の方から行くことができ、そこには見事な石垣が残る。
この城の最大の見どころは水ノ手でしょう。
石垣がしっかりと残っていて、雰囲気抜群です。
2017年には日本城郭協会が定める続日本100名城にえらばれる立派なお城があった新宮城。
1633年頃には城営が完成。
その二の丸には旅館がありました。
特筆すべきはその麓と二の丸をつなぐ日本一短いケーブルカーがあったことです。
営業開始は昭和29年からで、運賃30円でたんかく駅から二の丸駅とをつなぎました。
紀南の雄 玉置家系列の和歌山観光が経営しており、55年に休止、63年に廃止されました。
今もその始発たんかく駅と二の丸公園の端にある終点二の丸駅にはプラットホーム跡やレールの痕跡を見ることはあります。
桜が開花した時期に行きました。
夜になると提灯によるライトアップがされるので街を歩いていても目立ちます。
期間中は夜11時と遅くまで花見を楽しむことができます。
城跡に照らされる石垣と桜とのコラボは、まさに幻想的な素敵な空間でした。
個人的には、天守跡?付近にある木にとても惹かれました。
熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園です。
源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。
元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城し、その後10代にわたり長い統治が続き、現在の新宮市は城下町として栄えました。
城郭には港の跡を見ることができ、技術の粋を結集した石垣からも当時の国力がうかがえます。
2017年4月6日に日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。
あまり手が加えられていない感じですが、綺麗に石垣が残っており、広場から美しい太平洋が一望できる穴場です。
良いお城です。
登ると新宮市が一望できます。
続100名城。
新宮党の堀内氏ではなく関ヶ原の戦い後に紀伊に入った浅野氏の家臣が築城。
一国一城令で一度廃城になるも後に存続が許された城で、遺構が多く、特に切込み接ぎの石垣が見事です。
先日、続百名城に選ばれました。
別名は丹鶴城(たんかくじょう)。
熊野川沿岸の小高い丘である丹鶴山に築かれた平山城。
関ヶ原戦後の論功行賞で浅野氏の重臣が本格的に築城。
石の階段も綺麗に残されているし、石垣も美しい。
本丸、鐘の丸、松の丸は芝生公園のように整備されており、熊野川方面を見下ろすと川べりまで石垣が張り巡らされている。
川からの敵に対する要塞かと思いきや、江戸時代に熊野の備長炭を江戸方面に送るための船着き場なのだそうだ。
水の手という。
本丸には丹鶴姫の碑が残っており、夕方子供を手招きし殺してしまうという伝説が残っている。
JR線が台地の下を通っており海側から急坂を上ると無料の駐車場があります。
桜の季節にはライトアップされて綺麗です。
眺望も素晴らしいです。
石垣は見事なのですがロケーションはイマイチです。
海側は遠くむしろ河川側のがいい。
名前 |
新宮城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0735-22-2840 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
あまり知られていないので期待せず伺いましたが、とても良い城趾だと思いました。
石垣や船隠し等の構造、上り下りは少しハ−ドでとても素晴らしいです。
お勧めです。
穴場だと思いました。