東京の上野駅近くのお寺とても良い雰囲気で都内に居る...
東京の上野駅近くのお寺とても良い雰囲気で都内に居る感じじゃなくしてくるますね!
上野公園を散策しており、併せて訪問しました。
敷地内は落ち着いた雰囲気で歴史的な建物などを見学でき良かったです。
上野駅公園口からほど近い、寛永寺の厄除け大師。
いつも空いていて、ゆったりとお参りできます。
ボケ防止祈願というのぼりも出ていたので、今度本格的に呆け防止祈願に参りたいと思います。
門は10時オープンで、16時には閉まってしまいます。
開けっ放しのお寺とは違いますので、参拝時間には注意が必要です。
寛永寺の本坊は、現在の東京国立博物館の地に建立されましたが、慶応四年の彰義隊の戦争により焼失し、現在はその表門だけが往時の姿を留めています。
幕末、この界隈で激しい戦闘が行われましたが、この門は耐え忍びました。
門には現在でも官軍の攻撃による弾痕が数多く残り、戦争の激しさが伝わります(写真はありません)。
国の重要文化財に指定されています。
非常に目立つ建物で、徳川の菩提寺にふさわしい風格を漂わせています。
初めて寛永寺を訪れたが、何処から入ればいいのか分らず、最初に参拝したのが開山堂(両大師)であった。
寛永寺の敷地は広大なので、この開山堂だけでも一つのお寺のようである。
両大師と言われるだけあって、2体の大師が祀られている。
堂内右手で御朱印の対応をしており、私は両大師の御朱印とそれぞれの大師の御朱印(いづれも書き置き)と切り絵の御朱印、計4種頂いた。
最寄り駅 JR上野駅より徒歩で15分程拝観料は無料 トイレ無し山号 東叡山宗派 天台宗本尊 阿弥陀如来寛永寺の開山・天海(慈眼大師)は寛永20年(1640年)に死去し、翌正保元年(1644年)、現・輪王寺の地に天海を祀る開山堂が建てられた。
天海が崇敬する良源(慈恵大師、元三大師)を併せ祀ったことから「両大師」と呼ばれるようになった。
との事です。
境内敷地の片隅にひっそりと重要文化財である寛永寺旧本坊表門があり見逃し易く表通りからだと柵があり近づけなくなっていますが境内から回ると近くまでいけます。
天海(慈眼大師)ともう一人の慈恵大師の元三大師である魔除けの姿(何だか悪魔みたいな姿)の旗がかなりありました。
上野東照宮にもありますが套路が見事ですね。
角大師と呼ばれる良源は本当はかなりイケメンだったという話で、そっちの顔の肖像画もあれば良かったのにと世俗に塗れた私は思いました。
鬼のお札、私も買ってみました。
霊験灼(あらた)かだそうです。
先に根本中堂に行ってしまうと、やや地味で、あれって思う(十分素敵なところなのに)ので、こちらから行かれるのをおすすめします。
開山堂(両大師)は、天海大僧正と彼が尊崇していた慈恵大師を祀ったお堂で、正保元年(1644)の創建。
現在のお堂は平成5年(1993)に再建され、境内には後水尾天皇(1596-1680)ゆかりの「御車返しの桜」や見事な銅燈篭があります。
「御車返しの桜」は、江戸時代以来の三代目。
境内は整然と整備され、清掃も行き届いています。
両大師の一人として祀られている天海大僧正(1525-1643)は、徳川家康を補佐した僧侶で、信長に焼き討ちされた比叡山の諸堂宇の再建を果たし、また上野に吉野山から桜を移植し、不忍池を蓮の名所とされた方でもあります。
天海大僧正の和歌が山門に掲げられた説明板に紹介されていました。
「気は長く、つとめは堅く、色うすく、食ほそうして、心ひろかれ」。
百八歳まで長生きで、後世に残る大仕事をされた方の心構え、現代でも心に響きます。
上野のお山に大伽藍を設けた慈眼大師(天海大僧正)と慈眼大師が尊崇されたという比叡山中興の祖、慈惠大師良源をお祀りしているお堂です。
境内参道には4基の銅燈籠があり、江戸時代初期のもので、もともと大猷院殿廟(家光のお墓)にあったものだといます。
また、国重要文化財の旧本坊表門も観ることが出来ます。
今回訪れた時(7月3日)は丁度堂の前のハス畑の古代蓮を一輪見ることが出来ました。
こちらでは発見者の大賀一郎博士の名前をいただき、大賀ハスと呼ばれています。
2000年以上前の種から株分けをして咲く大輪の花を存分に味わいました。
花まつりの頃に花御堂が在るのを見て訪れました。
普段は界隈のお寺さんを敷居が高いと思い通り過ぎるだけですが、お釈迦様の誕生日が親しむ切っ掛けに成る素敵なイベントです。
東京国立博物館のすぐ隣にあるお寺。
徳川家の菩提寺である寛永寺の開祖、慈眼大師とその慈眼大師が崇敬していた慈恵大師を祀る。
厄除けのお寺として知られています。
上野公園の大噴水から歩いて3分ほどですが、人はまばらで公園内の混雑から開放されます。
堂内でゆっくり参拝するのがおすすめです。
とても静かでいつまでも居たいようなところでした。
御朱印は書き置きでしたが達筆です。
桜も綺麗ですし是非立ち寄ってみてください。
東京国立博物館の近くですが、上野公園から離れているため、参拝者も少なめで、ゆっくりお参りすることができました。厄除けのご利益があるそうです。
角大師様の護符を頂きに行きました。
とても感じの良い雰囲気でまた参りたいと思いました。
開山堂は、東叡山寛永寺の開山である慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正と、天海大僧正が尊崇していた慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん)大僧正をお祀りするお堂です。
もともとの創建は江戸時代の正保元(1644)年で、前年に亡くなられた天海大僧正を祀る「開山堂(かいさんどう)」でした。
後に寛永寺本坊內にあった慈恵堂(じえどう)から慈恵大師像を移し、慈恵・慈眼のお二人のお大師をお祀りしたことから、一般に「両大師(りょうだいし)」と呼ばれるようになりました。
御車返の桜はぜひ見てください。
上野駅公園口から歩いて5分以内の所です。
本堂内で御朱印が頂けます。
16時の閉館15分前に入らせていただきました徳川家を感じさせるすごさ梅の花も咲いていて春さくであろう枝垂桜の木もありました入って右の建物に3体の像があって迫力ありました。
三が日を避けて参拝しました!江戸時代の寛永寺貫主の住む本坊の表門を移築し当時の巨大寛永寺の面影を今に残す建物の一つ。
東叡山寛永寺を開山された慈眼大師天海大僧正をお祀りしています。
さらに天海僧正の崇める慈惠大師良源大僧正もお祀りしていることから「両大師」と呼ばれて庶民に信仰されてきたのだそう。
慈恵大師良源大僧正は平安時代の天台座主で全国の天台宗寺院で厄除けのお大師さんとして祀られています。
優れた霊力をお持ちで、良源大僧正が御祈祷されるお姿を描いたお札を配ると、疫病がたちどころに治まったという伝説があるんですって。
この時のお姿が角の生えた夜叉のようであったことから「角大師(つのだいし)」と呼ばれています。
角大師のお姿が描かれたお札もいただいてくればよかった…またお参りしてきます。
重要文化財。
虚空像菩薩参拝。
疫病退散。
慈恵大師と慈眼大師をお祀りしています。
毎月3日が縁日で、護摩祈願並びに、大般若経の転読が行われます。
ここの庭の大賀蓮(縄文蓮)が好き。
仏様も大好き💕
厄除けみたいです。
書き置きでしたが、御朱印をいただきました輪王寺開山堂(両大師)が正しいそうです。
上野恩賜公園内と周辺で貰える御朱印です説明は皆様にお任せです(^◇^;)私は御朱印のみです(・・;)
御朱印を頂きに京都から伺いました。
とても親切に色々と教えてくださり、とても良い思い出になりました。
ありがとうございました!
寛永寺創建に尽力された慈眼大師(天海)と天台宗中興の祖、慈恵大師(良源)を祀ったお堂で両大師と呼ばれているとの事。
本尊確認しないままお参りしたため、伝教大師と天台大師と拝んでしまった。
名前 |
輪王寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
本堂でお線香をつけ書き置きの御朱印をいただきました。