慈恵大師と慈眼大師をお祀りしています。
寛永寺 開山堂(両大師) / / .
開山堂(両大師)は、天海大僧正と彼が尊崇していた慈恵大師を祀ったお堂で、正保元年(1644)の創建。
現在のお堂は平成5年(1993)に再建され、境内には後水尾天皇(1596-1680)ゆかりの「御車返しの桜」や見事な銅燈篭があります。
「御車返しの桜」は、江戸時代以来の三代目。
境内は整然と整備され、清掃も行き届いています。
両大師の一人として祀られている天海大僧正(1525-1643)は、徳川家康を補佐した僧侶で、信長に焼き討ちされた比叡山の諸堂宇の再建を果たし、また上野に吉野山から桜を移植し、不忍池を蓮の名所とされた方でもあります。
天海大僧正の和歌が山門に掲げられた説明板に紹介されていました。
「気は長く、つとめは堅く、色うすく、食ほそうして、心ひろかれ」。
百八歳まで長生きで、後世に残る大仕事をされた方の心構え、現代でも心に響きます。
上野のお山に大伽藍を設けた慈眼大師(天海大僧正)と慈眼大師が尊崇されたという比叡山中興の祖、慈惠大師良源をお祀りしているお堂です。
境内参道には4基の銅燈籠があり、江戸時代初期のもので、もともと大猷院殿廟(家光のお墓)にあったものだといます。
また、国重要文化財の旧本坊表門も観ることが出来ます。
今回訪れた時(7月3日)は丁度堂の前のハス畑の古代蓮を一輪見ることが出来ました。
こちらでは発見者の大賀一郎博士の名前をいただき、大賀ハスと呼ばれています。
2000年以上前の種から株分けをして咲く大輪の花を存分に味わいました。
花まつりの頃に花御堂が在るのを見て訪れました。
普段は界隈のお寺さんを敷居が高いと思い通り過ぎるだけですが、お釈迦様の誕生日が親しむ切っ掛けに成る素敵なイベントです。
東京国立博物館のすぐ隣にあるお寺。
徳川家の菩提寺である寛永寺の開祖、慈眼大師とその慈眼大師が崇敬していた慈恵大師を祀る。
厄除けのお寺として知られています。
上野公園の大噴水から歩いて3分ほどですが、人はまばらで公園内の混雑から開放されます。
堂内でゆっくり参拝するのがおすすめです。
東京国立博物館の近くですが、上野公園から離れているため、参拝者も少なめで、ゆっくりお参りすることができました。厄除けのご利益があるそうです。
開山堂は、東叡山寛永寺の開山である慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正と、天海大僧正が尊崇していた慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん)大僧正をお祀りするお堂です。
もともとの創建は江戸時代の正保元(1644)年で、前年に亡くなられた天海大僧正を祀る「開山堂(かいさんどう)」でした。
後に寛永寺本坊內にあった慈恵堂(じえどう)から慈恵大師像を移し、慈恵・慈眼のお二人のお大師をお祀りしたことから、一般に「両大師(りょうだいし)」と呼ばれるようになりました。
16時の閉館15分前に入らせていただきました徳川家を感じさせるすごさ梅の花も咲いていて春さくであろう枝垂桜の木もありました入って右の建物に3体の像があって迫力ありました。
東叡山寛永寺を開山された慈眼大師天海大僧正をお祀りしています。
さらに天海僧正の崇める慈惠大師良源大僧正もお祀りしていることから「両大師」と呼ばれて庶民に信仰されてきたのだそう。
慈恵大師良源大僧正は平安時代の天台座主で全国の天台宗寺院で厄除けのお大師さんとして祀られています。
優れた霊力をお持ちで、良源大僧正が御祈祷されるお姿を描いたお札を配ると、疫病がたちどころに治まったという伝説があるんですって。
この時のお姿が角の生えた夜叉のようであったことから「角大師(つのだいし)」と呼ばれています。
角大師のお姿が描かれたお札もいただいてくればよかった…またお参りしてきます。
寛永寺創建に尽力された慈眼大師(天海)と天台宗中興の祖、慈恵大師(良源)を祀ったお堂で両大師と呼ばれているとの事。
本尊確認しないままお参りしたため、伝教大師と天台大師と拝んでしまった。
名前 |
寛永寺 開山堂(両大師) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
角大師と呼ばれる良源は本当はかなりイケメンだったという話で、そっちの顔の肖像画もあれば良かったのにと世俗に塗れた私は思いました。
鬼のお札、私も買ってみました。
霊験灼(あらた)かだそうです。
先に根本中堂に行ってしまうと、やや地味で、あれって思う(十分素敵なところなのに)ので、こちらから行かれるのをおすすめします。