5日は御坊祭りです私は物心ついた時から毎年 欠かさ...
幹線道路から北に位置し住宅街にある神社です 鳥居もお社もあり綺麗な神社で 熊野古道の西側にも近いです 駐車はできました This shrine is located in a residential area north of the main road. It is a beautiful shrine with a torii gate and a shrine. It is also close to the west side of Kumano Kodo. Parking was available.
7月の今の時期茅の輪を置いてます厄病払いになるらしいです。
ひとり歴史探訪で伺いました。
熊野古道紀伊路巡礼時に西御坊駅の近くでしたので参拝。
神功皇后御縁の小竹宮跡とされる。
龍王大海神社他沢山の神様がお祀りされていて立派な神社です。
御朱印頂きました。
毎年初詣日はここに行きます。
おみくじが大吉でした。
そんなに大きな神社と言うわけではないが、和歌山に縁の有る神功皇后と関係のある神社。
後の応神天皇が産まれた事により。
それを快く思わなかった異母兄弟の、香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)が皇位を巡り、神功皇后に反乱を起こした。
臣下と協議の末討伐をすることにし、小竹の宮に移動した時、昼間なのにあたりが真っ暗になった。
紀伊国造の祖先豊耳に尋ねると、小竹祝(シノホフリ)と天野祝(アマノホフリ)という仲の良い二人の神官が居たが、小竹祝が病死し、天野祝が悲しみ後を追うように小竹祝の亡骸の側で亡くなった。
一緒に葬った事が原因では?ということで、墓を開けて棺に納めなおし、別々に葬ると太陽の輝きが戻った。
小竹祝は小竹八幡神社、天野祝は丹生都比売神社の神官だったと言われているとか。
境内には武内宿禰を祀る神社もある。
氏神さまから大黒さま、お稲荷さま、天照大神 五穀豊穣を祷ってくれている神社です。
国道から少しそれた場所に在るのにスゴく静かで温かさを感じられました🙋
10月 参拝して、御朱印を頂きました。
ご祭神:誉田別命,息長足姫命,小竹大神配祀神:天児屋根命,紀道成朝臣夫婦之神霊境内社:宿弥神社(武内宿祀),天満神社(菅原道真),秋葉神社(大巳貴命=大国主命),船玉神社(猿田彦命,八千予神=大国主命,金山彦命),金比羅神社(大国主命,金山彦命),宇賀神社(倉稲魂命),稲荷神社(倉稲魂命),龍王大海神社(豊玉彦命,上筒男命,中筒男命,水波女神),住吉神社(上筒男命,中筒男命,下筒男命,豊玉彦命,豊玉祀命),道祖神社(猿田彦命),恵美須神社(大国主命,事代主命),天照皇大神社(天照大御神)境外飛地社:小竹八幡神社旧跡(元宮・元八幡)祝塚。
小竹八幡神社しのはちまんじんじや和歌山県御坊市薗646祭神誉田別命息長足姫命小竹大神小竹宮(しののみや)は神功皇后が忍熊王との戦いにおいて紀伊国で滞在した地との伝承があります御坊市は安珍清姫の物語の舞台で話は中国の物語を移植日本化したものと思われます。
u003c小竹神社の伝承ばなしu003e神功皇后が、三韓征伐から凱旋してきた時のこと。御座所「小竹の宮」に入ると、夜のような暗さが続いた。紀直の豊耳に、その原因を尋ねると「阿豆那比(あずなひ)の罪」であるという。小竹祝、天野祝(小竹祝が、小竹八幡神社の神官。天野祝が、丹生都比賣神社の神官)という“仲の良い二人の神官”がいた。ある時、この小竹祝が病死した。それを悲しんだ天野祝が、小竹祝のなきがらのそばで後追いし、二人一緒に葬られていた。そこで墓を開け別々に葬り直すと、ようやく昼が戻った。そして、小竹の宮があった跡地に、小竹神社が出来た、といった伝承でした。
トイレが近くにあり、新しく美しい。
毎年10月4、5日は御坊祭りです私は物心ついた時から毎年 欠かさず見に行ってますもう何十年だろう?と思いながらも祭り好きなのでやめられません😆今年は 晴天に恵まれ しかも金、土って…事で人も凄く多く私も 久しぶり最後まで見て来ましたまた 🎵来年の~🎵来年の~🎵…です。
毎年10月に御坊祭りがあります🎵人を見た蹴りゃと言って 大きな祭りです。
ウィキペディアで八幡宮と検索すると和歌山県の1社として紹介されています。
綺麗に整備された神社です。
境内に、駐車することができるようです。
神功皇后の小竹宮伝承地の一つ。
当社は旧御坊町及び日高郡美浜町浜之瀬を氏子区域にもつ神社である。
由緒については古文献の現存するものが無く、勧請の時代及び次第は詳らかではないが、『日本書紀』に所載の神功皇后並びに応神天皇由緒の地小竹宮に由来する神社である。
沿革について、伝承によると、往古は大社の一つで、一の鳥居は北塩屋矢熊ヶ鼻(御坊市)という所にあり、相当の社頭もあり、壮麗な社殿が存していたが、天正の兵火にかかり古文献、宝物等を焼失したとある。
『神社明細帳』の記載によると「(略)勧請年月日不詳然れども告國史所載する小竹宮の旧跡にして昔時薗の内紀小竹という所に鎮座ありしを延宝年間今の地に鎮座し、旧地を元宮或いは元八幡という(略)」とある。
現在の場所は、もとより藩侯徳川頼宣の御別邸地、薗御殿であったのを延宝6(1678)年下げ渡しとなり、同年御遷宮、神殿の向きは神占により東向きとなしたのである。
御坊祭は、由緒ある祭りです。
古くは、現在地の北約1kmの薗の内紀小竹(しの)という所に鎮座していたが、延宝年間(1673-1681)現在の地に遷座し、旧地を元宮或いは元八幡という。
古くは一の鳥居は日高川の左岸にある程の大きい神社であったが、秀吉の紀州攻めの際焼失した。
神功皇后が忍熊王を攻めるため、小竹の宮に入ると夜のような暗さが何日も続いた。
紀直の先祖・豊耳に尋ねたところ、「阿豆那比の罪(二人の神官を合葬する)」であると言う。
小竹八幡神社の神官小竹祝と丹生都比賣神社の神官天野祝という仲の良い二人の神官を一緒に葬ったことがあったのだという。
墓を開けて別々に葬ると昼が戻ったという。
小竹祝の墓と言われる祝塚がある。
この説話の場所を和歌山県那賀郡粉河町の志野神社に比定する説もある。
ゆったり神社。
季節によっては蝶や小鳥が多く、置かれてるベンチに座って社殿や木々をゆったり眺めるのもいいです。
沢山の狛犬さんがおられ、左端にはお稲荷さんも祀られています。
いつ訪れてもいつも変わりなく翳りがない、御坊の町の人々に愛されてるなぁと感じる私も大好きな神社です。
ひとをみたけりゃ御坊まつり。
名前 |
小竹八幡神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0738-22-0089 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ
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誉田別命(応神天皇)を祀る八幡神社。
七社もの境内社がある比較的大きな神社さんです。
一の鳥居の傍、二の鳥居の傍にも狛犬が。
龍王大海神社を護る狛犬は、左に獅子像、右に一角の狛犬でした。
今ではほとんどが獅子に似た狛犬が対になっていますが、平安時代の頃は獅子と狛犬の対だったそうです。
稲荷神社の狛狐は、右は宝珠、左は巻物を咥えていました。