三ノ丸や二ノ丸、本丸からの展望はよく周辺地域を一望...
道は狭いですが、車で本丸近くの馬場まで行けました。
綺麗に整備されていて本丸からの眺めは最高です!
2023年に車で訪問🚗平日の午前中だったこともあってか、人影が全くありませんでした。
もっとも駐車場(未舗装馬場)の敷地は広く無いので(3〜4台までかと)、好都合でした👍駐車場に到着後、クマに注意⚠️の看板を横目に、天守跡までを移動してみると約10分程度で目的地が見えました。
名城スタンプは天守跡付近の小屋に設置されています。
入場管理はされていないので、24時間出入り自由かもしれません。
但馬方面、播磨方面の両街道の境目を臨む景色が印象的でした✨
国道29号から南下して案内は無いので、城下町若桜宿の門が見えたら右側に入り、若桜駅の手前を右折し、山側に向かいます。
そこからは、若桜鬼ヶ城跡の案内のまま進みます。
道路幅は狭いですが、山頂まで舗装路が続きます。
山頂駐車所の奥の未舗装を進み最高峰の駐車場を目指しました。
5、6台は駐車出来ました。
熊よけの看板が有りましたので、ラジオを大音量で掛けながらの登城となりました。
途中電気柵が有りましたが、電源が入って無いので潜り抜け進みました。
途中の石垣や景色を楽しみながら天守跡を目指し、山城を堪能しました。
続日本100名城にも選ばれていて鶴尾山(標高452m)の山頂(天守台)からの眺望は素晴らしく山々とのどかな田園風景の見事な調和を眺める事ができます。
現在は本丸、二ノ丸、三ノ丸等に石垣が残っています。
見所は天守台、三ノ丸虎口、少し下った離れた場所にある六角石垣等です。
城跡付近まで舗装された林道を車で登る事ができますが、林道は非常に狭く対向車に気を付けながら安全運転でゆっくりと進んだ方が良いと思います。
また第1町民体育館裏と八幡広場にそれぞれ登山口があるそうで山頂までどちらも約45分程かかるそうです。
※御城印は若桜駅すぐそばの若桜町観光案内所で購入する事ができるのとスタンプも設置してありました。
御城印は通常版(300円)と金色の字がまばゆい特別版(600円)の2種類ありました。
若桜駅から歩いて、体育館付近の遊歩道から登って、車道側から下山しました(ギリギリ健脚かなと思える私で100分強)。
はじめ、細くて落ち葉が敷き詰められた、辛うじて道だとわかるところから始まります。
時々階段を作ってくれてますがかなり急勾配が続きます。
熊も注意しなければいけないのでかなりバクバクしてました。
座っての休憩は真ん中あたりと二の丸あたりの2箇所でしかできません。
一人で行くのはおすすめしませんが、三の丸付近から町を見下ろすとすごくいい景色でした。
帰りに若桜神社も寄ろうとしましたが、階段の多さに絶望し諦めました。
徒歩なら心して登山すべきです。
車道ルートで天守跡付近まで行くのがいいと思います。
破城された時のものなのか崩れた石垣 割れた瓦 おもむきがあります2つ街道が交わる所に築城されているのがよくわかります。
行って損なし野城跡。
崩された石垣に風情を感じます。
下から登るのをお勧めしますが、車でもええでぇ~。
城跡には、曲輪、石垣、虎口、竪堀、櫓台などを見る事ができます❗車を降りてすぐ城に入れるのはなかなか楽しかった❗
麓の道の駅から歩いて登城。
登山口までは少しわかりにくいが、登山口に入ってしまえば案内標識が多く、迷わず歩けた。
登りはけっこうきついが、本丸、天守台からの眺望は素晴らしい!!!登山道は落ち葉が多く、道幅も狭い場所が多いので滑らないように注意が必要。
崩れた石垣など、城跡としての見所は多く、登り甲斐があった。
以前はよく整備されていたようだが、腐食や破損が目立つようになっている。
頂上から見る景色はリアルジオラマを見てるみたいで最高です。
まず、主郭に行くのに一つのハードルがありました。
電柵を自分で外して中に入らないといけません。
よく見れば近くに説明文があるのですが見落としてしまったら「出口のない迷路に迷っちゃえ」状態になってしまいます。
後、全体的に杉や背の高い常緑樹が多く、天守台と三の丸以外はお世辞にも見晴らしが良いとは言えません。
しかし、その欠点を補って余りある、石垣やその破城の痕跡などがあり、魅力的な良い城跡だと思います。
今回は車で山上まで上がりましたが次に機会があれば徒歩で登ってみたいですね。
天守閣跡近くまで車で行くことが可能です。
道が狭いのでご注意ください。
眼下に広がる風景が素晴らしいです。
雪のため行けませんでしたが、若桜町歴史民俗資料館から堪能しました(^^)。
若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は鳥取県八頭郡若桜町若桜に存在した日本の城。
城跡は国の史跡に指定されている。
因幡三名城(この他に鳥取城、鹿野城)のひとつに数えられる名城である。
播磨・但馬両国に通じる街道を扼する標高452メートル(比高252メートル)の鶴尾山山頂部から尾根部分に曲輪群を設けている。
主に木下・山崎氏時代の主要部と国人・矢部氏時代の古城部に分けられ、中世城郭と石垣で作られた近世城郭の両方の遺構が残っている。
また、主要部の石垣には元和3年(1617年)の破城の形跡が見られ各所で崩れた石垣が確認される。
鳥取県教育委員会が平成10年(1998年)から15年(2003年)にかけて実施した県内の城館分布調査で全国的にも類を見ない遺構が発見され、国の史跡級の城跡であることが確認された。
国の史跡への指定は土地の権利などの問題で以前から難航していたが、平成20年(2008年)3月28日に実現した。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(168番)に選定された。
良く保存されている。
やや狭路だが車道もあり。
石垣がそれなりに残っています整備状態は普通区画は比較的わかりやすいと思います確か電気柵が上の方にありました。
城跡の近くまで車で行く事が出来ます。
途中から細く砂利道になります。
二台くらい駐車可能なスペースがあります。
駐車場から本丸まで歩いて5分位です。
立地としては鳥取へ向かう交通の要衝にあり、三ノ丸や二ノ丸、本丸からの展望はよく周辺地域を一望出来る。
かといって、周辺の山と比べても高過ぎる山ではなく道もカーブがそれなりにあるところなので上手く隠れる。
石垣が多く、特に六角石垣見物でる。
この城跡は、すごい❗何よりも破城の為崩された、石垣はあまり見たことがありません。
三ノ丸、二の丸、本丸、遺構も見事に残り、さすが。
城跡好きの聖地です。
因幡三名城の一つ。
鎌倉時代に矢部氏により築城、居城となる。
戦国時代に尼子再興軍の手に落ち、吉川元春に抗戦するが、城を捨てて撤退する。
秀吉の軍勢が因幡に侵攻すると拠点として機能する。
木下氏、山崎氏が領した後、因幡一国に池田氏が入封し一国一城令に伴い廃城。
麓から登城道が整備されているが、山頂近くまで車道が付いている為、登城は容易。
城跡の周囲には害獣除けの電線が張り巡らされている。
破城の痕跡がいたる所に見られる。
所要時間は約100分ほど。
続日本100名城。
とにかくワイルドな城跡である。
途上看板やら案内板があり道に迷う可能性はほぼ無いとは思うが山道が整備はされているものの極端に細い箇所が数カ所あった、雨天時や雨上がり時なんかは気をつけた方が良い。
フツーの運動靴での登城は危険極まりない、それ相応の装備での登城を激しくオススメする。
途上遺構は少ないが約40分の登りの後の三ノ丸以上の遺構は素晴らしい。
破却されたんであろう石垣が随所に残っており、かつ、曲輪がしっかりとわかるので山城の教科書的な城跡である、と私は思う。
江戸時代、若草街道随一の宿場町として栄えた若桜宿。
若桜鬼ヶ城跡が築かれた鶴尾山(つるのおやま 標高452m)は播磨但馬国へと通ずる街道の結接点に位置していて、因幡地方にとっては重要な拠点。
築城期は不明ですが、中世期に矢部氏によって築かれたといわれている。
戦国期は尼子、毛利、織田などの有力大名が重要拠点であったこの地を巡って激しい攻防を繰り広げ、羽柴秀吉による因幡平定後は木下氏、山崎氏と城主が代わり、池田光政が鳥取城に入ると一国一城令により廃城。
若桜鬼ヶ城は山腹の遺構と山頂遺構に大別。
山腹遺構は竪堀と堀切が南北の尾根沿いに造られ、小規模な曲輪群を形成。
山頂遺構は木下、山崎氏の時代に整備がされ天守台を備えた本丸を中心に北側に二段、南側と西側に一段ずつ総石垣の曲輪が築かれ複雑な構造をしています。
石垣は廃城の際、意図的に崩した状態で残されており、一国一城令による破城の歴史を物語っています。
平成20年3月、国の史跡に指定平成29年4月、公益財団法人日本城郭協会から「続日本100名城」に認定。
手拭いとグラブ必須。
山城の開けた景色100名城に選ばれた!六角石。
JR若桜駅から歩いて40分程。
六角石垣、本丸、二の丸、三の丸それぞれの石垣が素敵でした。
続日本100名城にも選ばれています。
城割りの跡が残るとても雰囲気のよい城跡。
眺めも素晴らしい。
続日本100名城にも選ばれたお城。
見所は多く山上には石垣が多く見られるが、整然としたものではなく一部崩れていたり、破壊された跡などを見ることが出来る。
国指定史跡中世城郭らしい遺構熊が出るので注意。
名前 |
若桜鬼ヶ城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

若桜鬼ヶ城は続日本百名城に認定されています。
本丸近くまで車で上がることも可能なので見学しやすい城ですが、せっかくなので麓から登ることをおすすめします。
下の八幡広場から約30〜40分で城域まで到達することができます。
登山道は整備されていますが、斜度はなかなかキツく城に着く手前は尾根筋の直登に近くなるのでなかなか登りごたえのある城だと思いました。
標高452m(比高約250m程度)城域は広くはありませんが、一国一城令で破却されてとはいえ石垣がかなりの規模で残っている総石造りの城です。
特に本丸周りと六角石垣、搦手門〜駐車場に向うあたりの石垣は見事です。
若桜鬼ヶ城は鎌倉時代に矢部氏によって築かれ、代々矢部氏の居城でしたが、その後尼子氏⇒木下氏⇒山崎氏と城主が移り変わり1617年に廃城となりました。
若桜町自体簡単に来れる場所ではないですが、個人的には素晴らしい城だと思いました。