エキゾチックで、神聖な雰囲気があり、心が洗われる感...
金成ハリストス正教会の起源は慶応4年(1868)に金成町上町の医師酒井篤礼が土佐の藩士澤辺琢磨らと共に函館の地で日本正教会の創始者、聖ニコライから洗礼を受けたことに始まります。
明治5年(1872)に函館で起こった教会への弾圧により、酒井篤礼は捕らえられて郷里の金成に送られてしまいます。
その後、篤礼は金成で布教活動を進めますが迫害を受けることも多かったのだそうです。
現在の聖堂は、篤礼の甥・川股松太郎の自宅敷地内に昭和9年(1934)に建てられました。
平成12年(2000)に全面的に修復がなされ、往時の姿を取り戻しました。
鐘楼の高さは約17mあり、栗原市の指定有形文化財にも登録されています。
春は桜が咲き、冬場はライトアップされ、ここだけ異国の薫りが漂います。
とても素敵な場所です。
金成町上町の酒井篤礼は函館で医業を営んでいたときにロシアの宣教師ニコライより洗礼を受けました。
その後、国禁を犯す者として追われ、1869年に金成に来て正教の真理を説いた時に捕捉されました。
2年間の獄舎暮らしの後は東京でニコライに師事した後、再び金成に戻り、仮会堂を建てて布教活動を始めました。
しかし、人々の迫害を受けることも多く、1879年にはせっかくの仮会堂が破壊されてしまいます。
篤礼はそれでも信仰心を失わず、1991年には川股松太郎宅を仮祈祷所として信者を導くようになりました。
その後は、古い家を買い取り、教会を建設。
信者は次第に増し、大正に入ると124名を数えるようになったと伝えられています。
鐘楼の高さ17メートルを誇る現在の金成ハリストス正教会は、1934年に川股松太郎氏の信仰心より、自宅の敷地を提供して建てられました。
名前 |
金成ハリストス正教会・聖使徒イオアン聖堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.7 |
エキゾチックで、神聖な雰囲気があり、心が洗われる感じです。
大切にして残したい建物ですね。