市の指定避難所になっていました。
杉ノ下地区 東日本大震災慰霊碑 / / .
盆過ぎに来ましたが、花がかざられている。
慰霊碑に、死者に思いを伝える場になっている。
場所も、掃除や草刈りがされていた。
明治三陸大津波に被害を受けなかったことで海抜11mのこの高台は、市の指定避難所になっていました。
東日本大震災の津波の高さは、この地区で18mと言われ、多くの人が犠牲になりました。
この地区の元避難所のあった場所に建てられています。
明治の津波では被害を免れたので、地域の避難所に設定されていました。
しかし、東日本大震災ではその想定を超える津波に飲まれ住人の多くが犠牲になりました。
この地区には第五班まで班があり、この場所は第二班の地区。
その為、第二班の方々が一番多く亡くなられています。
写真は震災遺構として公開されている高校の方面を撮影したもの。
奥の高校4階までの高さの津波に襲われました。
津波の凄まじさが分かる場所です。
2020年10月追記。
このお話は私が行った際に偶然、お花を供えられていたこの地域に住んでいる方からおうかがいしました。
震災から間もなく10年。
この場所はいろんな方に行ってほしい場所です。
ここは、杉の下地区の一時的避難場所になっていて震災当時 約100名もの住人が、避難していて.そこを津波が襲い80数名の尊い命が、一瞬に奪われてしまうという悲劇の場所です。
この地区では一番の高台ですが、三方から次々に襲ってくる津波に…合掌。
名前 |
杉ノ下地区 東日本大震災慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
東北ツーリングで寄りました。
三陸沿岸は何処も堤防が築かれ昔の面影は全く無かったかな、、、あれだけの被害だから止むなしと思うものの綺麗な海や砂浜が見られないのは、、、此方の地区でも大勢の方が犠牲になったとの事で、南無阿弥陀仏。