少し前に桜のころに通りかかりました。
徳島に来たので忌部神社へ⛩初訪問です。
金毘羅神社をはじめに参拝し、そのまま裏手に回り心臓破りの階段を登ります!裏手に回る道は少し荒れていますが、晴天時は特に問題なさそうです。
(訪問時は雨で水たまりができていました)階段は所々傾いている段があり滑りやすいので、雨の時は参拝は控えた方が良いです。
境内はこじんまりとしていますが綺麗でとても雰囲気が良かったです。
好きなタイプの神社ですね☺️平日だったせいか社務所は開いていませんでした。
御祈祷や御札の授与を希望する方は、行かれる前に確認がよろしいかと思います🌈
入った瞬間、逆行で太陽の光を背負った神社みたいで眩しくて、見ていられないような気持ちになりました。
シンプルな神社なのに、有名なだけあり、何かを感じました。
カラスと黒猫までお迎えしてくれて、歓迎を感じました(笑)
少し前に桜のころに通りかかりました。
金毘羅神社側から階段を登ったので、勾配の急さに驚きました。
帰りは通常の石段を下りました。
少し足元が安定してました。
忌部神社(いんべじんじゃ)御祭神 天日鷲命「阿波国麻殖郡 忌部神社」として延喜式(えんぎしき)にも記載され、名神大社に列せられたとても由緒正しい神社です。
中世以降兵火により所在不明となったが1885年に現在地に選定。
建築、織物の創始守護の神であり、近年では女優の水野真紀さんが結婚式をしたことからあやかりたいと参拝が増えて縁結び結婚の守護神としても知られています。
徳島市中心部に近い場所、眉山の中腹あたりに鎮座しています。
国道438号線に面している表参道には駐車場がありません。
眉山病院方面から上がると境内の手前に少し駐車スペースがありますが途中幅の狭い道になるので気を付けてください。
表参道から急な階段を上がるとかなりしんどいですが…苦労するといい風が吹きます。
金刀比羅神社のまだ上にあります。
ものすごく急な石階段が二つありどちらからでも登れ、頂上に忌部神社がある感じです。
二つの階段が金刀比羅神社を囲み挟んでいる感じです。
とてもしずかでのんびり散歩にはいいところです。
階段はいい運動になります。
晴れの日なら自然に囲まれてリラックスできる。
車やバイクだと細い道を通らないと駐車場まで行けません。
日曜日でしたが、社務所にどなたも居ませんので、御朱印は頂けませんでした。
水野真紀さんの挙式した縁起の良い神社なので縁結びの御守りを貰いに行きました。
横綱の白鵬さんも縁の有る神社でした。
古代より大嘗祭に天皇が着る麁服を織る阿波忌部氏の神社❗️秦氏や賀茂氏とも繋がりが深く山岳信仰の修験者や山伏の祖❗️🤔因みに紀伊忌部氏も有り熊野大社が本山ですね❗️😎なかなか悲っそりとした忌部氏らしい神社で凄く良かったです❗️
静かでいいところだとおもいます。
眉山からいったので、階段なかったのですが、本来の醍醐味のひとつは長い階段っぽいです。
南の石段は北側のそれより緩やかなので歩いて登るには南側の石段をお勧めしますね。
けど、なかなかの石段です❗覚悟を少しは持ってください‼️境内はパワースポット?よく見て感じてください‼️
式内社(後継社)いんべじんじゃ古来より続く忌部氏の歴史と格式のみを受け継いだ神社。
中世までに所在不明となってしまった「忌部神社」を明治期に麻植郡山崎村の「忌部神社」として「式内社」に制定したが、美馬郡西端山の「五所神社」が不服を申し出た。
以降、論争が続き、どちらとも言えない妥協案として、ここ「忌部神社」が創祀された。
故に新しい「後継社」です。
近年では背後の山に6世紀の忌部山古墳群がある山崎の「忌部神社」が式内論社として有力とされるが、改編される事はないだろう。
美馬郡の氏子衆は納得しないかもしれないし。
境内や社殿を含め特に見るべきところは無い為、もし忌部氏を辿って訪れるなら山崎(現、吉野川市山川町)の「忌部神社」へ行かれる事を進める。
ただし、前述した通り「格式」は引き継がれているので、天皇が大嘗祭で着る「麁服(あらたえ)」を織る祭事は此処の神主が斎主となり行われる。
その為、これから注目される事も多くなるだろう。
あまりお手入れがされていなかった。
今だけかしら。
高い格式の割には小規模な印象ですが境内や社殿は綺麗に整備清掃されていました。
残念ながら、参拝時間が遅かったので御朱印は受領出来ませんでした。
古代氏族の忌部氏の社。
こちらで挙式させていただきました。
厳かな雰囲気と張りつめた清々しい空気で、とても素敵な時間を過ごせました。
いむべ神社御祭神「天日鷲尊」は神社天皇の御東遷に九州から付いてきた五伴緒(いつとものお)神の一人である太玉尊(忌部氏の祖)の子供。
香取神宮の経津主神と同神。
天日鷲尊が本名。
@上代日本正史 原田常治著P58「天日鷲尊」の父神「太玉尊(布都玉尊)」は神武御東遷の五伴緒神の一人で、大和朝廷最初の忌部(いんべ)=祭祀係。
その子、天日鷲尊は忌部を引き継ぎ、齋主→経津主と呼ばれた。
二人は、神武天皇より四国の阿波国を賜り、麻の栽培、麻布の紡織を奨励した。
後に東国平定の詔を受け、千葉の安房国へ進出。
布都玉は孫(天富尊)により安房神社に祀られ、経津主は千葉の香取神宮に祀られた。
@古代日本正史 原田常治著 P455
名前 |
忌部神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
088-652-8892 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
忌部神社に車で行ったのですが辿り着けなかったのでこの評価です。
まず、表の参道の階段を登る所には駐車場が無く近くにもパーキングが無いです。
そして眉山の方面からから行く裏の参道に繋がる道も崖道を行くので軽自動車以上の大きさだと厳しいと思います。
もし、車で行くなら表の参道方面でパーキングを探すか絶対におすすめはしませんが裏の参道につながる道に路駐するしかないかと思います。