手彫りのトンネル、よく掘りましたね?
落石対策の建造物があるため景観は期待したものではありませんでした。
しかし海に沿って切り拓かれた道は、昔の人の苦労とその道を頼りにする人を想像させてくれました。
幹線道路から少し入るだけなので立ち寄りにオススメします。
(道は狭いです)
函館側だとサンタロトンネルの手前に分岐点があります。
コルゲート巻きされてますが恐らく道内で唯一残っている素掘り隧道群だと思います。
恐らくR278の旧道で今は道道41号線なのですが「生きた道路」です。
何故ならここを路線バスが通るからです。
この狭いトンネルを中~大型バスが通り抜けるのは圧巻です。
道南金剛と共に旧道の雰囲気を味わって頂きたいです。
なお恵山の街は静かに通りましょう。
2022/10/02初来訪です。
恵山から函館への帰りに寄りました。
ここだけひっそりとしていて、昭和の時代に戻った感じの場所です。
各トンネルは短いですが、ぞれぞれに番号(函館側から日浦1号トンネル、恵山側が日浦7号トンネル)が付けられています。
恵山側から行くと、脇でオバ様達が昆布干してるような細道から、通り抜けました。
景色見ている方々もいて、いいところです。
岩場を縫って走るトンネルは迫力があります朝早かったので朝日か見れました。
素掘りのトンネルを見学に。
補強されてる所もありますが、しっかり素掘りのままのところも。
歴史を感じられます。
路線バスが通ってるので、注意です。
トラックで通ったらメチャクチャ狭かった😰💦
裏通り、落ち着くなあー。
不気味だが異世界に来た気分になる。
たしかバスも通る。
散々ポイント追加要望で却下されて、やっとGoogleさんが認めてくれた様で・・・道道41号線は旧国道278号線。
この素堀りのトンネル群は1929年に開通。
後に日浦洞門と呼ばれる様になりました。
旧国道時代、この女那川町~日浦町の難所を路線バスが走っていたのに驚きます。
この辺りも、あちらこちらに強固な落石防止網が設けられ、景観の素晴らしさと危うさが入り混じる道南の観光名所でしょう。
道南金剛からこのトンネルを経たついで、日浦漁港の少し先、岬辺りの柱状節理の落石現場を見に行きましょう。
日浦の地名はアイヌ語のフラウエンに由来。
「海藻が浜辺に打ち寄せられて悪臭のする所」の意味らしい。
1度来たかった場所です!他とは違う景観が、とても良かったです👍
急いでいないのであればR278からちょっとそれてこちらを走ってみるといいですよ。
キレイな海とスリルを楽しめます。
旧道を走るのって面白いですよね🎵封鎖されない事を祈ります。
1929(昭和4)年に開通した素掘りトンネルが7つ連続する道。
函館中心部から恵山に向かう途中、日浦海岸にせり出した旧道(道道函館恵山線)の一部。
HPより函館中心部から恵山に向かう途中、日浦海岸にせり出した岩盤を素掘りした7つのトンネルは、日浦洞門と呼ばれます。
1929(昭和4)年に開通。
絶壁の海岸に道を通すために、硬い岩盤を素掘りで砕いてトンネルが掘られた歴史がしのばれます。
1985(昭和60)年に山側へ迂回する新道とサンタロトンネルが開通するまでは、国道278号線として使用され、現在は道道41号線(函館恵山線)に。
道幅やトンネル自体が狭いことから交互通行が必須であるものの、函館と恵山を結ぶ路線バスが経由して運行している現役の道路です。
高波や落石により通行止めになることもあります。
随分整備され路線バスも走ってますが、手彫りのトンネル、よく掘りましたね💪
1929年に開通したらしい素掘りのトンネルがあります。
函館恵山線1929年に開通した素掘りトンネルが7つ連続する旧道ロケ地🎬オートバイ少女⇒みのるがバイクで駆け抜ける📖サンタロナカセ岩シリキシナイの武井泊に、三太郎と息子夫婦が3人で仲良く暮らしていた。
息子は心優しく働き者で、村人からもよく誉められていた。
ある日、息子がタラ漁に出ると大時化となり、とうとう戻ってこなかった。
三太郎と嫁の2人は毎日磯へ出て、恵山の海を眺めながら泣いた。
そうして、ついに2人は岩になってしまった。
名前 |
日浦洞門 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
日中に通ったので、狭い道で対向車が多くバスも通ることにびっくりしました。
車なら早朝が良いかもしれないですね!車を置いて歩くのも良いかと思います。
手彫りの凄さに圧巻させられます。
海景色も素敵です。