正平9年(1354)から3年間北朝の光厳・光明・崇...
金剛寺本坊 奥殿(北朝御座所観蔵院跡) / / .
金剛寺の感蔵院は、正平9年(1354)から3年間北朝の光厳・光明・崇光の3人の上皇が人質として幽閉されていたそうです。
奥殿はその後身で、内部は御座の間などがしつらえられています。
大正2年(1913)の再建だそうです。
静かでとっても美しい庭です。
全心身落ち着いてきました。
南北朝時代、金剛寺は南朝方の拠点であり、北朝方の三上皇は人質として観蔵院に幽閉されていた事になる。
この事は北朝方を怒らせ後に攻撃を受け、多くの坊舎が焼失した。
名前 |
金剛寺本坊 奥殿(北朝御座所観蔵院跡) |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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こちらに京都から連れ去られてきた北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)及び直仁親王が、子院「観蔵院」に幽閉されました。
また、次の長慶天皇も文中2年(1378)から4年余り行宮とし足利幕府軍と対峙しましたのだそうです。
天皇が座した間が残されており、また美しい庭を拝見することができました。