神聖な雰囲気が漂っています。
家の近くにある神社で⛩名前は知っていたのですが今まで何年も行く機会がありませんでした。
今回、お力になって頂きたい事があり知り合いの方から足高神社のパワーは凄いと聞き参拝させて頂きました。
神社も思いの他広く整備されていて何と言っても空気が新鮮で居心地良かったです。
神主さまも気さくな方で色んな神社にまつわるお話しをされて凄く勉強になりずっと話を聞きたい気持ちになりました(笑)参拝したお陰が聞いたのか上手く事が運び感謝しております😌本当の意味でパワースポットだと私は感じました。
ありがとう御座いました😌
小高い丘の上に建つ神社で、木に囲まれているので倉敷市を一望とまではいきませんが、神聖な雰囲気が漂っています。
桜の季節には綺麗な桜が楽しめます。
神社名t足高神社(アシタカジンジャ)鎮座地t〒710-0834 倉敷市笹沖1033御祭神t大山津見命(おおやまつみのみこと)石長比賣命(いわながひめのみこと)木之花咲耶比賣神(このはなさくやひめのかみ)御神徳 詳細なし大山祇神のご利益安全祈願病気平癒・健康祈願(酒造の神は基本的に医薬神)山林守護漁業守護鉱山業守護(転じて)商売繁盛石長比売命(イワナガヒメノミコト)のご利益不老長寿・健康長寿木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)のご利益農業漁業・航海安産・子授け火難消除織物業守護由緒当社の現存する神社記録の最古の書は平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。
この書のなかに当社は記載されており備中18社の1に数える最古社である。
御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。
寛和元年(985)花山天皇の御代足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。
天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして奉幣御祈願の儀があった。
翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。
延慶元年(1308)花園天皇の御代勅額と獅子頭一対を下賜。
また建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。
徳川時代備前池田公の支藩鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ代継ぎの際は、代々必ず参拝された。
足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ東西航行の要路であり潮流が激しく鳴門の如く渦が巻いていたといわれており通る船は、全て帆を下げ島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。
古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり車の交通安全が盛んとなっている。
初めて訪問したが南の鳥居の階段から近づいたら駐輪するところがわからず断念西の鳥居の坂道から登った。
山の下に駐車できるところがあるのかもしれないが案内が見つからずわからなかった。
せっかく上まで登ってお参りに境内に入ったのだが、賽銭箱の前で宮司含め5人くらいでビデオで撮影しながら駄弁ってて参れず。
着飾ってたから結婚か何かの打ち合わせかもしれんが、場所を考えてほしい。
神前で神の道を塞ぐなと。
申し訳ないが本殿の真裏でお祈りさせていただきました。
こことはもうご縁がなかったということで。
おごそか。
あと、ここには神様がいらっしゃりますので失礼のないように。
『今きついんです。
たすけてください!」とお願いしたら本当になんとかしてくださりました。
ただ、自助努力はするように。
神事中だったので末社まで行けませんでしたが人の良い宮司?さんのようで色々濃いお話をしていただき、ためになったなと思います。
眺めも凄く良かったので階段きつくても良かったと思いました。
境内に上がると宮司さんが竹ホウキで境内を清めておられました。
声を掛けるのも申し訳なく思い、参拝して境内を散策しました。
終わって社務所に入られたので御朱印をお願いしたところ快く書いてくださいました。
「今日はお参りして頂き有難うございます、ごゆっくりして行ってください」とお言葉を頂き大変心地よい時間を過ごせました。
有難うございました。
11月15日 参拝。
名前 |
足高神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
086-425-7292 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
地鎮祭をこちらの神社にお願いしたところ、とても感じの良い神主さんが来られ感心いたしました。
今後、神社に行く用事(初詣や七五三等)にはこちらの神社に伺いたいと思います。