帝塚山は大阪五低山の一つで、墳丘です。
大阪市内に残る三古墳(茶臼山古墳、御勝山古墳、帝塚山古墳)の一つで、5世紀初頭の前方後円墳だそうです。
前方後円墳として原形をとどめる大阪市内唯一のもので、付近に居宅があった豪族大伴金村の墓という説も有るらしい。
今、大和朝廷を身近に感じています。
今日は小学生の団体がいました。
上空から見ると綺麗な前方後円墳にみえるそうです。
古墳の被葬者は大伴金村説が有力みたいです。
大伴金村は特に継体天皇を擁立したことで有名です。
継体天皇と大伴金村のおかげで、皇室が続いているのかも知れないです。
地元ガイドが開催されているので入りました。
鍵は近くの学校が管理していたと思います。
ガイドでは帝塚山地区の成り立ちや、屋敷について解説してくれます。
近年はマンションが立ち並び街の風景も年々変わっていくとの事です。
市内に残る四古墳(茶臼山古墳=天王寺区、御勝山古墳=生野区、聖天山古墳=阿倍野区、帝塚山古墳)の1つで、5世紀初頭の前方後円墳です。
区の北部の高台にあり、大和朝廷に高官として仕え、この付近に居宅があった豪族大伴金村の墓という説もあります。
現存している塚は、前方後円墳として原形をとどめる市内唯一のものです。
上町台地に造られた4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳。
全長88m。
もともと、この周辺には他に大帝塚古墳、弁天塚古墳、二本松古墳、万代古墳など豪族たちの墓があったが、後世の宮城造成、寺社建築、住宅建設などによって破壊された、とのこと。
このあたりの古墳、海からよく見えたはず。
大陸から来た船が、真っ先に目に付いたランドマークだったのかもしれない。
名前 |
帝塚山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
前方後円墳の形を残していて大阪市内100m級を超える4