鳥居前の公園から飛び出す子供たちが結構いるので通行...
境内は綺麗なところでした、鳥居前の公園から飛び出す子供たちが結構いるので通行注意です。
祭神は少彦名神、須佐之男命他、旧社格は村社、夏祭りは毎年7月16、17日です。
見るからに歴史を感じる本殿で桑津地区の中心辺りに位置し地域を見守っている。
境内に『天神社本殿』『天満宮』『稲荷大明神』『八幡宮』を配置する。
あけましておめでとうございます。
2021年はいい年になりますように✨
昔と違って人がいなかった。
コロナだから仕方ないな。
住宅街にある地域に溶け込んだ神社の雰囲気がありやました。
令和記念、秋大祭季節限定、即位礼限定と書き置きですが、三種類の御朱印を頂けます、此は此で良いと思うのですが、通常の御朱印を頂く際に、神社の御由緒なるものを普通ならば、頂けるのに、(有料)でした。
社務所には、昨年度の台風で大きな被害が出て、その修繕への寄進かと想うような但し書きがありました。
こじんまりしたお社ですが、御神木に囲まれて神さびたステキな神社です。
とても綺麗な御朱印を頂きました。
いつも お参りさせていただく神社です。
御祭神:少彦名神/菅原道真/須佐之男命/奇稲田比売命/野見宿禰/天児屋根命/布刀玉命/天宇受売命/猿田毘古神/経津主命/健甕槌命創建は代16代・仁徳天皇の御代と伝えられています。
社伝によれば、仁徳天皇の妃である日向髪長媛が病気に罹ったとき、天皇が少彦名神に全快を祈ったところ、快癒し、それが縁でこの地に同神を勧請されたのが始まりです。
拝:2020/02/08
2020/01/05参拝隣接する京善寺参拝の折に伺いました。
境内が公園になっており、子ども達がたくさんあそんでいました。
身近に親しみやすい寺社があると言うのは良いことです。
「てんじんさん」にお参りに行きました。
住宅街にある小さな神社でしたが、七五三詣りでにぎわっていました。
「日本書記」によると応神天皇(4世紀)の頃、日向の国から美女の誉高い、髪長媛(かみながひめ)※ を召され桑津の地に住まわせたと記されています。
媛はのちに仁徳天皇の妃となられました。
髪長媛は桑津天神社に奉祀される以前は、明治6年廃寺となった金蓮寺が髪長媛の宮跡であった関係で、境内の八幡宮に奉祀されています。
また桑津天神社には少彦名命(すくなひこなのみこと)も祀られていますが、これは髪長媛の病気祈願のため医薬の祖神である少彦名命が祀られたとの伝えによっています。
※髪長媛(かみながひめ) 髪長媛は、現在の宮崎県都城市早水町の早水神社の早水池のほとりに生まれたという伝説があります。
早水神社の祭神は応神天皇・牛諸井(うしもろい)・髪長媛の三柱です。
髪長媛と仁徳天皇との間に、大草香皇子と幡梭皇女(はたびのひめこ)が生まれました。
「日本書紀」によると、大草香皇子は妹の幡梭皇女と結婚する大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に美麗な「押木玉縵(おしきのたまかずら)」を献上したと記されています。
しかし、大草香皇子は根使主のざん言により安康天皇に刺殺され、髪長媛と娘の幡梭皇女の最後は不明となっています。
髪長媛の名前は桑津天神社におまつりしているだけではなく、同じ名前でいろいろな地方にも見られます。
伝説的色彩がきわめて強く、古代では「髪」は人名ではなく一般に若い女性をさし、機織り(はたおり)の名手で黒髪長く背丈以上もあったのでこう呼ばれたともいわれています。
エエ感じの神社。
大きな御神木もあり、厳かな雰囲気が良かったです。
御朱印はもう少し上手な字で書いていただけたら、と思いました。
とても静かなお宮さんです。
秋祭りにはダンジリで大変賑やかになりますお宮の由緒書きに依ると大阪夏の陣で神社の資料が消失したそうで、はっきりとは解らないらしいです。
16代仁徳天皇の后『髪長媛』が住まわれた場所らしいです。
后が病気になった時に少名彦命に祈願したそうでさすれば相当の歴史が有りそうですね。
りんとした空気が漂っていて、本当に落ち着きますねぇ。
ご近所さんの神社って感じでこじんまりしてます。
なんか落ち着きます。
何気に立ち寄った。
丁寧にキレイなご朱印をいただきました。
大阪市内にある,落ちついた神社です。
名前 |
天神社(桑津天神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6719-3959 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai9shibu/higashisumiyoshi-ku/09004amatsukamuyashiro.html |
評価 |
3.8 |
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こじんまりした神社。
よかった。