色々と資料を見せていただき大変参考になりました。
只今雛祭り展を開催中.殿様や豪商の豪華な雛飾りを展示しております。
地元の歴史って、知っているつもりで、実は知らないもの。
こういった場所で、知る機会を得られありがたいです。
丁寧にいろいろ説明してくれてよかった❣️
駐車場、入館無料です。
説明をして下さったのでより楽しめました。
多度津の歴史や昔の玩具なども置いてあるので興味のある方は行ってみて下さい。
武家の家を町が資料館にしています。
管理者、学芸員もしっかり活動しています。
江戸時代から明治、昭和の讃岐の歴史が紹介されています。
企画展も多種多様です。
先頃はグアテマラの織物展で賑わいました。
🎵
🌠詳細(多度津藩)讃岐(さぬき)国(香川県)多度(たど)郡に置かれた藩。
丸亀(まるがめ)藩の支藩。
藩主京極(きょうごく)氏、譜代(ふだい)大名。
丸亀藩主2代京極高豊(たかとよ)の庶子高通(たかみち)が、1694年(元禄7)1万石を分封されて成立、多度郡三井・吉原・葛原(くずはら)郷、三野(みの)郡大野・勝間・高瀬郷を領した。
当初丸亀城の郭内に居館を設けたが、4代高賢(たかかた)のとき1827年(文政10)に多度津(現仲多度(なかたど)郡多度津町)に陣屋をつくり移る。
廃藩置県(1871)まで6代、176年間続いた。
倉敷県、丸亀県などを経て香川県に編入。
⚠️廃藩置県👈藩を廃止して、県を置いた日本全土の藩主・藩士から藩を取りあげて、食べれなく成った下級武士が犯罪に手をそめたりした。
ヤドンのうどんキャンペーンなかったら絶対行ってなかったけど!退屈でしたw
駐車場がやや、とめにくい入棺無料。
この資料館から道を挟んで斜め向かいが東御殿と呼ばれた家老林氏の屋敷です。
なお、宇多津町の西光寺の境内には、江戸末期に多度津藩が建造した藩主の御座船である日吉丸の屋形が残っています。
多度津藩の財政窮乏の折り、明治の初めに寺が購入・移築し、船屋形茶室と利用しているものです。
また、瀬戸内海歴史民俗資料館には多度津藩小早船絵図があります。
👇多度津城(戦国時代にあった城を解体した資材で築かれた)多度津城の守護のため🌟上屋敷に上級武士(細川家、小畑家、香川家、三宅家、林家、臼杵家、多度津大平家、多度津合田家など)が詰所として使った🌟下屋敷に中級武士や下級武士(西山家、道久家、竹内家、露原家、生駒家、大北家『大喜多家』、山本家、松本家、谷口家、白川家、三木家、石原家、篠原家、斎藤家、河田家、田代家、伏石家、十河家、野村家、内海家)が詰所として使った上記は、主だった家臣多度津藩の上屋敷の跡地を利用して作られたとされる(高松空襲に向かうアメリカ軍がこの辺りにも焼夷弾をばらまいた)壊滅的被害は、出なかった🌟🌟🌟🌟高豊と正室市子との間に生まれた3人の男児が相次いで夭折し、高通が生まれた翌年の元禄5年(1692年)に生まれた五男で正室の子・高或が丸亀藩の嫡子となった。
しかし、家名断絶を恐れた高豊は、高通に支藩を立てさせるべく幕府に届け出た。
元禄7年(1694年)高豊が病没した(享年40)。
これにより高或が丸亀を襲封し、高通は多度津(香川県仲多度郡多度津町)周辺に1万石を賜り、多度津藩初代藩主となった。
藩庁は丸亀城内に置かれ、麻布鳥居坂に江戸藩邸が置かれた。
宝永6年(1709年)叙任。
襲封はわずか4歳であったため、正徳元年(1711年)になってようやく実質的に藩主として政務を執った。
享保20年9月24日(1735年11月8日)、長男・高慶に藩主の座を譲り隠居、「道静」と号し和歌や書を嗜んだ。
寛保3年(1743年)、江戸藩邸で病没した。
享年53。
和船について調べることがあって伺ったのですが、色々と資料を見せていただき大変参考になりました。
また、郷土史家の方が来られて興味深い話を聞くことができました。
名前 |
多度津町立資料館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0877-33-3343 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:00~17:00 [月] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
多度津町出身で、大阪にいますが、とても懐かして良かったです。